福津ウォーク~津屋崎千軒編~

前回(福津ウォーク~宮地嶽神社 菖蒲まつり編~)の続き

津屋崎は、江戸時代から昭和初期頃まで行われていた塩田の積出港として大いに栄え、その賑わいぶりは、家が千軒もひしめくようで、津屋崎千軒と呼ばれました。残念ながら、江戸時代からの度重なる大火で、まちが何度も消失しましたが、現在も数軒が当時の面影を残しています。

コース外の場所は■赤字で記しておきます。

ウェア&シューズ70%以上OFF

    


宮地嶽神社を後にし、県道502号線沿いを津屋崎方面に歩いていきます。


「宮ノ元」信号機付近 [地図] 。

このあたりから小雨が降り出し、ゴールまで降ったり止んだりが続きました。


■塩倉庫 [地図]

地元のガイドさんから津屋崎にはかつて塩田が「津屋崎地区」と「勝浦地区」の2地域に存在したことや塩田の遺産が津屋崎にはまだまだたくさんあることなどいろいろと教えていただきました。

【旧熊本塩務局津屋崎出張所 文書館跡】津屋崎千軒の繁栄は津屋崎荒塩として博多の味を支えた製塩業であり、明治36年には県下最大の塩田にまで発展したが、専売制などの経済環境の変化から衰微していき、昭和34年に最終的に廃止された。残存するレンガ造りの建屋は、庁舎に付属する文書庫跡と考えられている。



■波折神社(拝殿内撮影可) [地図]

【波折神社】「波折」は波を鎮めるという意味で、昔、漁師がしけに遭い、神様に祈ると三神が現れ、波を鎮めてくれたという伝説がこの神社の名前の由来です。毎年7月中旬に行われる津屋崎祗園山笠では波折神社を出発点とし、津屋崎交番付近を到着点とする「追い山」が行われます。
 


拝殿内では地元ガイドさんによる解説が行われていました。この絵馬は筑前四大画家のひとり斉藤秋圃の絵馬「神功皇后伝絵図」です。


■吉田醤油屋の煙突 [地図]

木が生い茂っていて分かりづらいですが、明治から大正初期にかけての作り醤油屋「吉田屋」の赤レンガの煙突です。

【吉田醤油屋】17代目吉田作次郎が塩田を所有していたので、津屋崎塩田の塩を利用して始めたものと思われる。明治33年にはパリ万国博覧会に醤油を出品したり、全国品評会で受賞したこともあったそうです。


■伊能忠敬宿泊所跡 [地図]

文化9(1812)年7月28日、日本全国を測量した伊能忠敬が津屋崎の佐治家に宿泊しました。


■津屋崎浦制札場跡 [地図]

津屋崎浦の中で人々が往来するこの場所に、法令(人々が守らなければいけない規則)を記した立て札が立てられていました。


■津屋崎千軒 藍の家(館内撮影可) [地図]

館内では熱いお茶を振舞っていただきました^^

【津屋崎千軒 藍の家】明治34年に建築された、国の有形文化財に登録されている建物。元は、染物屋を営んでいた上妻家の住まいだった。塩木の大きな梁や三和土の広い土間、3枚のあげ戸になっている雨戸など、当時の町屋形式をよく残している。



■豊村酒造 [地図]


津屋崎の地酒「豊盛」の試飲をさせていただきました^^


店内が賑やかだったので酒盛りでも始まってるのかと思ったら、「酒蔵カフェ」という臨時のカフェがオープンしており、参加者の方々はコーヒーと酒粕ケーキで休憩をされていました。


旧玉乃井旅館 [地図]

カフェや展示会などが行われています。


■教安寺 [地図]

【教安寺】鎌倉中期、1231年に開山。境内には江戸時代に津屋崎の漁場拡張を黒田藩に訴えた庄屋と組頭5人の「義民六人士」を祀る六角堂と塚があります。



■善福寺 [地図]

お寺というか普通の民家のような外観なので分かりづらかったです。

【善福寺】1623年京都で黒田長政公が死去され、その棺を博多へ船で運ぶ途中、しけに遭い急遽棺を避難させるためにこの地に垣を造って守護しました。別名を垣の内観音とも言われます。


■津屋崎千軒 なごみ [地図]


先着200名のクッキープレゼントには間に合いませんでした…ORZ


■上田製菓 [地図]

ようかんの試食があったようですが、私が着いた頃には品切れでした…ORZ


■津屋崎人形

津屋崎人形を製作されている2軒のお店にお邪魔しました。色合いは鮮やかですが、素朴で温かみがある人形でした。

【津屋崎人形】津屋崎人形の起源は、江戸末期の安政年間。良質な陶土がとれる津屋崎で、生活土器を製作したのがはじまりです。古博多人形の流れを汲む土人形で、鮮やかな原色を用いるのが特徴の1つ。半永久的に使うことの出来る人形の型は、江戸時代のものも代々受け継がれ、現在でも新たな作品を生み出しています。昭和56年には「福岡県知事指定特産民芸品」に指定されています。

▲筑前津屋崎人形巧房 [地図]


▲原田半蔵人形店 [地図]


■新泉岳寺 [地図]

【新泉岳寺】津屋崎の観光開発に尽力された児島恒次郎氏が東京高輪の泉岳寺の分霊をもって四十七士の墓を大正2年に作りました。12月14日といえば討入りの日であるが、毎年この日には法要が営まれ、蕎麦やぜんざいが振る舞われています。


■金刀比羅神社 御旅所 [地図]

【金刀比羅神社】祭神は大物主神、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、大己貴命、少彦名命、大海津美神。1716年修験者の大澄が、讃岐から在自山の山頂に神を迎えて祭りました。毎年9月9日に津屋崎の御旅所まで御神幸が行われます。


■宝来軒 [地図]

津屋崎では人気のラーメン店宝来軒に初めてやって来ました。今回のウォーキングで一番楽しみにしていた場所です。ちょうどお昼時だったので店内も大変賑わっていました。


ラーメン大(600円)を注文。スープはとんこつですがあっさりしており優しい味でした。麺はストレート中麺でスープとよくからみます。いや~本当に美味しかった!スープも残さず飲み干してしまいました。


勘定を済ませにレジまで行くと、6月30日をもって閉店するとの貼紙が!また来ようと思っていたのに…ORZ

この閉店は、津屋崎千軒の集客に大変な痛手となるのではないでしょうか?とにかく、56年間お疲れ様でした。


■宮地岳線延長の碑 [地図]

【宮地岳線延長の碑】2007年3月をもって宮地岳線津屋崎~新宮間の電車が廃線になりました。宮地嶽から津屋崎まで延長された1951年以来56年間走り続けたコトコト電車の姿は見られなくなりました。記念碑だけが残っています。


■潮湯の里 夕陽館 [地図]

夕陽館2階の休憩所では冷たいお茶と飴を振舞っていただきました。5分ほど休憩して出発しました。


■玄界灘

こちらは津屋崎海水浴場。


そしてこちらは宮地浜海水浴場です。JR九州ウォーキング初参加の際にこちらの砂浜は歩きました。


国道495号線沿いを歩き、「宮地浜」信号機 [地図] を左折します。


宮地嶽神社の階段を登り終え振り返った際に宮地浜までまっすぐに延びていた道がこの道です。


「宮地嶽神社前」信号機 [地図] から右折し、県道502号線沿いをJR福間駅方面に向かいます。


■ぎょうざの山八 [地図]

朝、通りかかったときは準備中で素通りしたのですが、戻ってきたら餃子の試食が行われていました。


試食してみると外はパリパリ、中はジューシー、にんにくが効いていて大変美味しかったです。すぐに餃子20個入りと餃子のたれを買っちゃいました^^

ぎょうざの山八 一口餃子1セット(18個)


■JR福間駅(ゴール地点) [地図]

13時30分頃、JR福間駅に到着。雨の日ボーナスポイントを含めて2ポイントいただきました。


今回で10ポイント貯まったのでJR九州ウォーキングオリジナルコースマップケースと交換しました^^v



       

コメント一覧

  1. ちはや より:

    更新楽しみにしていました。私は1日は、うきは。8日戸畑、16日若松でした。
    福間のコースは私も行ったことあります♪ただこんなに見所があったとは…f^_^;海岸や菖蒲にみとれ、見落としていたところが多数あったようです。今度福間に参加するときはじっくり見てみたいです。
    あと、福岡県ウォーキング情報ありがとうございます。参加できそうなところがあるので参加したいと思っています。

  2. ふくすけ より:

    ちはやさん、こんばんは
    >ただこんなに見所があったとは…f^_^;
    観光協会などに置いてあるパンフレットなんかを参考にして史跡などをまわることが最近は多いですね。
    津屋崎の場合は「津屋崎千軒 藍の家」に置いてあった観光MAPを見ながらコース外の場所を散策してきました^^
    >福岡県ウォーキング情報ありがとうございます。参加できそうなところがあるので参加したいと思っています。
    参考になったのであれば幸いです^^
    夏場のウォーキングイベントは少ないので、頑張って探して紹介できたらいいなと思っています。
    コメントありがとうございました

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