勝手にウォーキング大会in熊本 花岡山編
前回(春の熊本お城まつりウォーク)の続き
JR熊本駅開催のJR九州ウォーキング終了後、勝手にウォーキング大会in熊本を開催してきました。
実を言うとこの企画は約一年前の川尻駅ウォーキングの後に実行しようと計画していたのですが、思ったよりも川尻でのウォーキングに時間がかかってしまい断念してしまった企画なんですよね。今回のウォーキングは一年越しの雪辱戦になります(^^)
■勝手にウォーキング大会in熊本 花岡山編ルート
以下の資料を参考に次のようなルートを歩いてきました。
▲動くルート図
⇒勝手にウォーキング大会in熊本 花岡山編(ルートラボ)
※ルートの閲覧には、Microsoft Silverlight 3.0以上が必要となります。最新のMicrosoft Silverlightをダウンロード(無料)するには、こちらから
▲参考資料
■JR熊本駅 [地図]
JR熊本駅の白川口でJR九州ウォーキングのゴール受付を済ませた後は、地下通路を通って新幹線口にやって来ました。ここが勝手にウォーキング大会のスタート地点になります。
■春日神社 [地図]
この辺りは土地区画整理が行なわれたと思うのですが、整然とした街区の中に由緒がありそうな神社がポツンと建っていました。
【春日神社】菊池家初代藤原則隆が奈良の春日神社を勧請し創建したと伝えられており、境内には加茂大名神も合祀されている。
■清水寺 [地図]
境内には豪潮律師の宝篋印塔などもありました。
【清水寺】肥後に下向した国司たちが当時祗園山と呼ばれていた現在の花岡山を京都の東山になぞらえて清水寺を勧請して創建されました。天台宗比叡山神護寺の末寺で霊応山千手院と称し、本尊は千手観音と長谷寺の十一面観音の2体が併置されています。
■花岡山 [地図]
花岡山山頂を目指して緩やかな坂道をデブ汗をかきながらゆっくりと登っていきます。山頂までの道のりにはラブホテルが軒を連ね、その数の多さに驚きました(゚ー゚;)
【花岡山】JR熊本駅の北側に位置し、標高132mと気軽に登ることができる山です。頂上に仏舎利塔があるのが目印で、加藤清正が熊本城築城の際に必要な石をこの山から切り出したといわれ、熊本の歴史に大きく関わっています。山上からは熊本市街地を一望でき、夜景や桜の名所としても知られています。
▲阿蘇殿松跡 [地図]
【阿蘇殿松跡】阿蘇神社宮司の先祖・阿蘇惟光が冤罪により秀吉から切腹を命じられ、この場所で命を絶ちました。まだわずか12歳であった惟光を哀しみ一本の松が植えられました。今は松はなく、記念碑だけが建っています。
▲薩軍砲座の跡 [地図]
【薩軍砲座の跡】西南戦争の時に、薩軍が熊本城を攻撃するためここに大砲を運んで城をめがけて砲撃しました。しかし大砲は城内には届かなかったようで、途中の段山や新町に落ちたといわれています。
▲官軍墓地 [地図]
【官軍墓地】1876年、神風連の乱に倒れた熊本鎮台司令長官種田政明少将、参謀長高島茂徳中佐、大島邦彦中佐以下116名を葬るために設けられました。一時荒廃しましたが地元の人々の努力で整備され、昭和55年に熊本市指定史跡となりました。
▲加賀山マリア殉教の碑 [地図]
【加賀山マリア殉教の碑】1635年、加賀山隼人正の長女で小笠原玄也の妻、加賀山マリアは、キリシタン禁教令の転宗の勧めに抗し一族14人と共に、花岡山の麓にある禅定院で処刑され殉教致しました。当時、罪人、異端者は処刑されても墓を建ててはならないしきたりでした。しかし玄也一族は密かに花岡山中腹に葬られたらしく、長い年月を経て、現在の官軍墓地付近より、加賀山マリアの墓石が発見されました。
官軍墓地付近から山頂までは階段が続いています。ひーこら言いながら登り終えると、そこには広場があり目の前には仏舎利塔が建っていました。
▲仏舎利塔 [地図]
とても立派な建物で花岡山のシンボルになっています。
【仏舎利塔】インドのネール元首相から世界平和の祈願をこめて寄贈された御仏舎利を祀った宝塔。尖塔の黄金コタはスリランカのクラ首相から送られました。
頂上広場は熊本市内が一望でき、その眺めの素晴らしさに思わずうぉーと声を上げてしまいました。花岡山から見る夜景が熊本市では一番美しいと言われているのも納得です。写真はスタート地点のJR熊本駅方面の展望です。
広場のベンチに座り、階段で受けたダメージを癒します。5分ほど休憩した後、頂上広場を散策してみることにしました。
▲加藤清正腰掛石 [地図]
【加藤清正腰掛石】加藤清正は熊本城を築くため自ら石材切り出しの現場監督をしたといわれており、そのときこの石に腰掛け休息したといわれています。
▲加藤清正ゆかりの兜石 [地図]
【加藤清正ゆかりの兜石】加藤清正は熊本城築城に当たって、石垣用の石材を採掘する時、自ら鎧兜に身を固め陣頭指揮をしたといわれています。この兜石は清正公が休憩時に、兜をこの石に置いて休んだことからその名がついたそうです。
▲熊本バンド奉教之碑 [地図]
熊本バンドの存在はNHK大河ドラマ「八重の桜」で知りました。
【熊本バンド奉教之碑】1876年、キリスト教に入信しようとした熊本洋学校の生徒35名が一致協力してキリスト教信仰を守り、キリスト教によって日本を導こうという奉教趣旨書に署名して誓約した場所です。この碑は昭和40年建立されました。
▲八枚石 [地図]
ここからの眺めも素晴らしかったですよ^^
【八枚石】この崖下には、八枚の平たい巨岩が重なり会うように山腹に突き出しているのでその名がついたと言われています。清正公が熊本城築城の際、この岩をとろうとした時に山上の狐がこれをやめさせたという伝説が残っています。
頂上付近の散策を終え、下りは車道沿いを歩いていくことにしました。
▲鐘掛松跡 [地図]
現在は鐘掛松は枯死し、木製の標柱が建っているのみでした。
【鐘掛松跡】熊本城を築くための採石作業のとき始業、休憩などの合図に使われた鐘が掛けられていた松があったといわれている場所です。
▲乳水 [地図]
残念ながら、飲めるほど湧いてでていませんでした。
【乳水】花岡山の崖の岩肌から湧いてでている清水で、元は北岡神社の手水に使われていました。飲むとお乳の出が良くなるといわれていることから乳水と呼ばれています。
▲地獄坂 [地図]
下りは極楽でしたよ^^
【地獄坂】加藤清正が熊本城築城の際、花岡山から切り出した石を運ぶ作業に使った道です。今でこそ石段が組んであるものの、当時の地獄坂は、赤土が剥き出した幅わずか1.5mの急坂、覆いかぶさる木々で真っ暗でした。人足たちは石の重みに潰されそうになりながらも、滑る足を踏ん張りこの坂を「まるで地獄、地獄」と恐れ嘆いて昇り降りしたといわれています。
花岡山の史跡めぐりを終え、次は麓のお寺めぐりをします。
■安国禅寺 [地図]
俳人種田山頭火のお墓があります。
■妙永寺 [地図]
加藤清正の母、伊都(聖林院)が祀られているお寺です。
■六角堂本覚寺 [地図]
加藤清正の側室、本覚院の菩提寺です。
この後は城下町くまもと時代絵巻2014が開催されている熊本城を目指します。
熊本城編に続く
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