勝手にウォーキング大会in熊本 城下町くまもと時代絵巻編

前回(勝手にウォーキング大会in熊本 熊本城編)の続き

今回は勝手にウォーキング大会in熊本の完結編になります。

ウェア&シューズ70%以上OFF

    


■勝手にウォーキング大会in熊本 城下町くまもと時代絵巻編ルート

以下の資料を参考に次のようなルートを歩いてきました。

▲動くルート図

勝手にウォーキング大会in熊本 城下町くまもと時代絵巻編(ルートラボ)

※ルートの閲覧には、Microsoft Silverlight 3.0以上が必要となります。最新のMicrosoft Silverlightをダウンロード(無料)するには、こちらから

▲参考資料

くまもとてくてくマップ(熊本城界隈)


■天守閣(一部の展示物撮影不可) [地図]

地下通路を抜けると、目の前に天守閣が現れます。威風堂々としたたたずまいで、その姿に圧倒されてしまいました。

天守閣前には人だかりができていたので何かと思って覗いてみると、熊本城おもてなし武将隊による演舞が行なわれていました。ただ私、武将がノリノリの音楽に合わせてダンスしているのを見ると違和感がありすぎて見ていられなくなるんですよね^^;

【天守閣】大天守、小天守からなる熊本城の天守閣は、1877年、西南戦争開戦3日前に原因不明の出火で焼失してしまいました。現在の天守閣は、古い写真や絵地図などを基に、1960年に復元されたものですが、瓦の列や数まで細部にわたって忠実に再現されています。大天守は3層6階地下1階、高さ約30mで、小天守は2層4階、高さ約19mです。内部には時代ごとの熊本を紹介する資料が展示されています。


大天守の梁です。梁をつなぐ床板をはずすと、下から攻めてくる敵を鉄砲や石で攻撃する「石落とし」になります。


写真では分かりづらいですが、小天守と石垣との境には鉄串の「忍返し」が鋭い先端を下に向け設置されています。


天守閣の内部は現在、熊本市立熊本博物館の分館となっており、肥後歴代藩主の武具や調度品のほか、西南戦争の資料などを見ることができます(一部撮影不可)。

写真の鯱は、天守閣が1960年に再建された際に大小天守屋根に設置されていたものです。


最上階は展望所となっており、熊本市内だけでなく阿蘇の山並みを見ることもできます。


小天守の展望所からは時代絵巻の武者隊が熊本城に入場し、場内を闊歩する姿が見えました。


■大銀杏 [地図]

熊本城の別名「銀杏城」の由来となったイチョウの木です。

【大銀杏】加藤清正が築城の際に自らの手で植え、亡くなるときに、「この銀杏の木が天守閣と同じ高さとなったときに、何か異変が起こるであろう」と予言し、それが奇しくも1877年の西南戦争のときであったとも言われています。


■本丸御殿 [地図]

以下のリンクから本丸御殿内部の各所をバーチャル体験することができますよ

本丸御殿大広間パノラマツアー

【本丸御殿】藩主の居間や対面所、台所など多用な用途をもつ複数の殿舎群で構成されていました。1877年の西南戦争の際に起こった火災で天守閣と共に焼失してしまいましが、古い文献資料と発掘調査に基づいて、平成20年に復元完成しました。


大御台所です。いったい何人分の料理を作っていたのかと驚くほど広い台所でした。


昭君之間です。藩主の居間や対面の場として使われ、本丸御殿の中で最も格式の高い部屋です。

実はこの部屋、秀吉亡き後、豊臣秀頼の身に万が一危機が迫った際に迎え入れるべく造られたという説があるそうです。


■不開門 [地図]

くまもとお城まつり期間中は国指定重要文化財の不開門が特別公開されていました。

【不開門】城の鬼門である北東に位置し、昔の陰陽道ではこの方角は塞いでも、開け放してもいけないとされ、門は造るが普段は閉ざし、不浄なものを運ぶときだけこの門を開いたと言われています。


■頬当御門 [地図]

15時から時代絵巻の武者隊による着陣の儀を見学する為、城内を後にし、二の丸広場に向かいました。

【頬当御門】天守閣へ向かう正面入口です。2本の門柱の上に貫を渡した「冠木門」という形式のこの門は、お城を顔に見立てたとき、ちょうど顔の前に当てる甲冑部品の頬当てに見えることから、頬当御門と呼ばれるようになったと言われています。


西大手櫓門 [地図] 前には武者隊の行列が待機していました。


15時頃、武者行列が二の丸広場に向かって出発しました。写真中央は加藤清正公役の玄海竜二さんです(*´▽`*)かっこえー


二の丸広場では既に大勢の見物客で賑わっており、なかなか武者隊をみることができません。しょうがないので次の目的地に向かうことにしました(´Д⊂グスン


■旧細川刑部邸(フラッシュ撮影禁止) [地図]

熊本城で購入した熊本城・旧細川刑部邸共通入場券(640円)で入館しました。

【旧細川刑部邸】細川家三代忠利の弟、細川刑部少輔興孝が興した細川刑部家の本邸です。この建物は、建坪300坪、蔵を付属した長屋門、唐破風屋根の大玄関、入側造りの書院などを備え全国有数の上級武家屋敷として知られています。現在の建物は移築復元されたもので熊本県の重要文化財指定されています。


表御書院と呼ばれる重臣たちを迎えた格式ある部屋です。他にも歴史のある部屋や展示物をじっくりと見学してきました。


■夏目漱石内坪井旧居 [地図]

閉館時間まで30分ほどしかなかったので今回はスルーしました。

【夏目漱石内坪井旧居】1896年、第五高等学校(現熊本大学)の英語教師として着任した夏目漱石。熊本在住の4年3か月の間に6回も転居しており、5番目に移り住んだこの家で、最も長い1年8ヶ月を暮らしました。


熊本一の繁華街、下通り商店街 [地図] です。ここまで幅員が広いアーケード街は福岡ではなかなか見れません。


■小泉八雲熊本旧居 [地図]

こちらも閉館時間が迫っていたのでスルーしました。

【小泉八雲熊本旧居】1891年、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が第五高等学校(現熊本大学)の英語教師として赴任し、最初の1年を過ごした家。


■JR熊本駅 [地図]

17時10分頃、JR熊本駅に到着しました。今回の熊本でのウォーキングは充実した内容で大満足でした。

ただ、この後2時間以上も電車に揺られて帰らなければいけないことを考えると憂鬱になりましたけどね(^^;)


       

この記事へのコメントはこちら

お気軽にコメントしてください
最初のコメントは管理人の承認待ちになります。
1度承認されると2回目以降のコメントはすぐにブログに反映されるようになります。
※ブラウザのJavaScript・Cookieを有効にしてください

管理人との内緒話はお問い合わせで受け付けています

内容に問題なければ、以下の「コメント送信」ボタンを押してください。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)