勝手にウォーキング大会in熊本 熊本城編
前回(勝手にウォーキング大会in熊本 花岡山編)の続き
JR九州ウォーキングでは素通りした熊本城をじっくり見学したいと思います。
■勝手にウォーキング大会in熊本 熊本城編ルート
以下の資料を参考に次のようなルートを歩いてきました。
▲動くルート図
※ルートの閲覧には、Microsoft Silverlight 3.0以上が必要となります。最新のMicrosoft Silverlightをダウンロード(無料)するには、こちらから
▲参考資料
この日は春のくまもとお城まつりのイベントのひとつとして城下町くまもと時代絵巻2014が開催されていました。
このイベントは、熊熊本城築城から現在に至るまでの流れをパレード形式の「時代絵巻」に仕立て、城下町くまもとを盛り上げるというイベントです。加藤清正軍に扮した約200人の武者隊による熊本城までの勇壮な行軍が一番の見どころになります。
県民百貨店前道路を封鎖して作られた舞台である「シンボルロード」には大勢の見物客で溢れかえっておりとても賑やかでした。
私が通りかかった時は熊本の景勝地や文化をモチーフにした多彩な踊りをお披露目する「演舞披露」が行なわれていました。
この後13時より武者隊が熊本城に向かって出発するのですが、それまで待っていられなかったので先に熊本城見学を済ませることにしました。
■熊本城 [地図]
【熊本城】日本三名城の一つに数えられる熊本城は、1588年に肥後藩主となった加藤清正が7年の歳月をかけて1607年に築城した天下の名城です。その構えは豪壮雄大で、城域は98ha、周囲5.3Kmにも及びます。当時は大小天守閣はじめ、櫓49、櫓門18、その他の城門29を数え、実戦を想定した巨大要塞でした。加藤家2代、細川家11代の居城として続きましたが、明治10年の西南戦争では、原因不明の出火により、宇土櫓はじめ11棟を残し主要な建物を焼失しました。
▲清正公銅像 [地図]
行幸橋の袂で熊本城を守るかのように鎮座されていました(゚∀゚)か…かっちょえー!!
▲行幸橋 [地図]
行幸橋は熊本城の入口に架けられた橋です。明治35年に明治天皇が熊本に行幸の折りに架け替えられ、それを記念して行幸橋と名づけられました。
▲長塀 [地図]
行幸橋を渡る途中で、長塀が見えてきました。
【長塀】東の平御櫓から西の馬具櫓まで約242mの塀が続いており、現存する城郭の塀の中では最長を誇ります。国の重要文化財。
▲櫨方門 [地図]
料金所になっており、熊本城・旧細川刑部邸共通入場券(640円)を購入しました。
▲二様の石垣 [地図]
熊本城の石垣は上部にいくに従って反りをもたせた構造になっており、武者返しと呼ばれています。これを登るのはロッククライマーでも難しそうですね
【二様の石垣】熊本城の見事な石垣の中、ここでは加藤と細川時代の異なった様式の石垣が見られます。手前の石垣の方が古い石積みの方法で、隅に同じ大きさの石を積み上げる「穴太積」と呼ばれているもの。奥の石垣は「算木積」と呼ばれるもので、長方形の角石を左右交互に積んでおり、勾配が急なことが特徴です。
▲飯田丸五階櫓 [地図]
入口にいた案内係の方が「1階のどこかに動物が隠れているので見つけてください」と言われたので、10分ほどかかってようやく見つけることができました^^;→隠れた動物
【飯田丸五階櫓】加藤清正の重臣、飯田覚兵衛が管理していたことから、飯田丸と呼ばれるようになりました。熊本城南面防衛の要であり、櫓と塀で囲い込まれ、内部には井戸や台所、鉄砲蔵までも設けられていて、小さなお城の天守閣の機能を持つほどの規模と機能がある五階櫓です。
平成17年に復元された櫓なので中はとても綺麗ですね。武者走りと呼ばれる廊下や鉄砲狭間、石落としなどが忠実に復元されていました。
熊本城の石段は、敵の侵入を少しでも遅らせる為に意図的に石段の高さや奥行きを少しずつ変えてあります。
▲地図石 [地図]
ぶっちゃけ地図には見えませんでしたw
【地図石】表面を平らに加工した99個の石を隙間なく組み合わされた構図から、古くから地図石と呼ばれてきました。日本地図を表しているとか、熊本城の縄張りを表すとか、熊本城下の地図とも言われてきました。
▲数寄屋丸 [地図]
主に接客用として茶会、歌会、能などを楽しんだ建物です。現在の建物は平成元年に復元されたものです。
羽生名人と郷田九段による第67期名人戦第2局は数寄屋丸二階御広間で行なわれました。
▲首掛石 [地図]
先ほど私も花岡山から歩いてきたのでわかりますが、この伝説は絶対嘘ですw
【首掛石】熊本城築城当時、横手五郎という怪力無双の若者が花岡山から首にかけて運んできたと伝わる凹型の巨石で重さは1800kgあります。
熊本城の中には、このような井戸跡がたくさんあります。それは、1597年の朝鮮出兵時の籠城戦で水の大切さを痛感した清正が城内に120もの井戸を掘ったからです。
▲宇土櫓 [地図]
熊本城内で最も価値がある建物ではないでしょうか。第3の天守と呼ばれる堂々たる姿は圧巻です。
【宇土櫓】加藤清正によって慶長年間に建てられたものです。本丸を全焼させた西南戦争の火の手を逃れ、建立当時の姿を残す貴重な木造の櫓です。天守閣のように反り返らない直線的な破風が特徴で、三層五階に地下を備え、最上階は桃山の様式である高欄を残しています。国の重要文化財に指定されています。
続櫓から宇土櫓まで約25mの廊下が続き、石垣の傾斜の影響で床が傾いていました。
宇土櫓最上階から天守閣を眺めます。
▲闇り通路 [地図]
この地下通路を通って、天守閣・本丸御殿へと向かいます。
【闇り通路】本丸御殿は2つの石垣を跨ぐように建てられたため、闇り通路と呼ばれる地下通路が御殿への正式な入口となります。このような地下通路を持つ御殿建築は全国にもあまり例がありません。
城下町くまもと時代絵巻編に続く
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