長崎街道歴史発見ウォークに参加してきました 前編

2013年3月17日()は、北九州市制50周年記念事業である「長崎街道歴史発見ウォーク」のAコースに参加してきました。Aコースは長崎街道の小倉城下から木屋瀬宿までの約27kmの完歩を目指すコースです。

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没写真(Facebook)

    


■長崎街道歴史発見ウォーク:Aコース概要


▲開催日

平成25年3月17日()

▲集合場所

勝山公園

▲スケジュール

07:30~08:15 スタート受付
08:15 開会式
08:30 出発
17:00 最終ゴール受付

▲コース

小倉(勝山公園)~黒崎(曲里の松並木)~木屋瀬宿記念館(約27km)

▲コース図

●小倉(勝山公園)~黒崎(曲里の松並木)


●黒崎(曲里の松並木)~木屋瀬宿記念館


■勝山公園(スタート地点)

7時50分頃到着。すでに大勢の参加者の方たちがいらっしゃいました。


受付を済ませると、ゼッケンコース図とスタンプラリーチェックポイントが載った冊子参加特典の手さげ袋を貰いました。



■開会式

コスプレをした井筒屋会長の中村さんより開会の挨拶がありました。その挨拶の中でAコースは募集定員200名に対して350名以上の応募があったこと、またA・B・Cコース全体の募集定員700名に対しては1200名以上の応募があったこと等の発表がありました。


挨拶のあと参加者全員で準備運動、ラジオ体操を行いました。


■出発

この大会は団体歩行ではなく、JR九州ウォーキングのように各自自由なペースで歩き、散策できる大会ですが、スタート時は混雑防止のため60名程度のグループに分けられ、時間差で出発しました。


■常盤橋(第1チェックポイント)

常盤橋のたもとではガイドさんが常盤橋について熱心に説明されてました。5分ほど説明を聞いたあと、橋を渡り、最初のチェックポイントでスタンプを押しました。

【常盤橋】江戸時代、常盤橋は、小倉から九州各地にのびる諸街道の起点であり終点でもありました。長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還の5つを「小倉の五街道」と呼びますが、そのすべてがこの橋につながっていました。常盤橋は、江戸時代の終わりごろまで基礎が木でつくられていたので、すぐに腐って大雨が降るたびに流され、架けかえられていました。1800年代初期に、当時としては珍しい「石くい」に替えたことで、橋は強度を増し、補修や維持が容易になりました。文政年間に使われた石くいの一部は常盤橋の西岸たもとに残されています。





■大門跡

こちらでもガイドさんが大門跡について熱心に説明されてました。

【大門跡】江戸時代はこの北側がすぐ海岸で、潮の流れや北風のため、沢山の海藻が打ち上げられたことからこの場所を「大藻」とよび、それが訛って「大門」となったものと言われています。


強化ガラスの下に、長崎街道の北側に築かれた石塁の一部を当時のまま保存展示されています。


■安国寺(第2チェックポイント)

【安国寺】足利尊氏が全国に建立した寺の一つで、境内には最上騒動の最上光直、伊達騒動の伊達宗興の墓や松尾芭蕉の句碑や座像があります。


■到津口門跡

【到津口門跡】江戸時代には九州諸藩の藩主、長崎奉行、外国人や、江戸に連れて行く象までが往来したという長崎街道の出入口です。門の外は左右に土手と堀が連なり、内側には、三角形の約千坪の「勢溜」といわれる広場がありました。門司口と共に昼夜開門し、番所には二十人が勤めていたといいます。


■清水口門跡(第3チェックポイント)

この清水口門はあまり利用者がなかったらしく、幕末の屋敷絵図を見ると、門は描いているが、その外に土手を築いて通行できないようにしています。


■水かけ地蔵尊(第4チェックポイント)

【水かけ地蔵尊】1500年以前から現在まで存在する湧き清水の泉があり、泉のそばに地蔵尊が祀られています。この泉は、神功皇后が新羅出兵(391年)の途中立ち寄られてお飲みになったという言伝えがあり古くから「皇后水」といわれてきました。その後740年板櫃川の合戦に臨み、聖武天皇の命により守護仏が安置されたので「観音霊水」といわれてきました。また「弘法の水」ともいい、唐から帰国した弘法太師が巡回のとき、改めて旅人の憩いの水とされたといわれています。



■旧九州鉄道茶屋町橋梁(第5チェックポイント)

【旧九州鉄道茶屋町橋梁】明治22年に九州鉄道株式会社(明治40年に国有化)が九州では初めての鉄道を開通させました。その九州鉄道に明治24年から20年間だけ、北九州市の内陸部を通る大蔵線という区間がありました。明治44年にこの大蔵線は廃線となり、今ではその頃の鉄道施設で残っているものは数少なく、北九州市にとっても交通史を語る上でとても貴重なものとなっているようです。


■荒生田の一里塚跡


■三条国境石(第6チェックポイント)

【国境石】江戸時代、北九州市域はこの辺りで小倉藩と福岡藩に分かれていました。当時は藩の違いは現在の国の違いに近い感覚で、まさしくこの辺りは国境の町でした。もめ事が起こらないよう国境を示す国境石が数多く建てられました。この国境石は福岡藩が建てたもので、1834年に立て替えられた際に、二川相近によって「従是西筑前国」と彫られています。高さは3メートルを越え県下最大です。昭和50年に市指定史跡に指定。


■東田遊歩道(第7チェックポイント)

おもてなし処が設置されており、ぜんざい、冷たいお茶、飴などを振舞っていただきました。5分ほど休憩して出発。



■東田第一高炉史跡広場

コース外ですが少し寄り道をしていきます。

【東田第一高炉】ドイツから技術者を招き、4年の歳月を経て建造。明治34年2月に高炉の火入れ、同年11月に操業となりました。明治34年は西暦1901年であり、高炉には大きく1901の札がかかる。そして何回かの改修を行い、昭和37年に日本初の超高圧高炉へと進化した。これは超高圧高炉の先駆けであり長いこと画期的な高炉と注目を集めたようだ。しかし長年の使用による老朽化が進み解体の危機が訪れる。市民の保存を求める声は北九州市を動かし、近代製鉄発祥の地として東田第一高炉一帯は、平成8年に市指定文化財に指定されるとともに保存整備されることとなった。



▲高炉

鉄鉱石を溶かし、鉄を取り出す。


▲熱風炉

高炉に送る空気を1,200度まで温める。


▲トーピードカー

高炉でできた銑鉄を転炉に運ぶ貨車


▲転炉

高炉から運ばれた銑鉄に石灰石と酸素を入れて良質の鋼鉄を作る。


■旧百三十銀行ギャラリー

【旧百三十銀行ギャラリー】辰野金吾が主宰した辰野・片岡設計事務所が、1915年設計した鉄筋コンクリートのビルです。日本で鉄筋建築が建造されたころの建物として、北九州市の有形文化財に指定されています。


■前田一里塚(第8チェックポイント)

前田一里塚の近くで桜が満開できれいだなと写真を撮っていたら、近所の方が「これ、アーモンドの木ですよ」と教えていただきました。



■田町 歴史の径


▲城石村開作成就の碑(左)と黒崎湊の常夜灯(右)

【城石村開作成就の碑】洞海湾が深く入り組んでいる藤田の浜の沖を埋め立てて水田を作る計画は、貞享4年から始まり、工事は数回の大規模な修復工事を行い完成しました。元文3年の工事では、筑前国の遠賀郡、鞍手郡、嘉麻郡、宗像郡、粕屋郡から多くの人々が集められ従事し完成。堤防の石に城山の石垣の石を用いたので、城石の開作と言われ、城石村と名付けられたそうです。現在は、安川電機と三菱化学の敷地の一部になっています。

【黒崎湊の常夜灯】この常夜灯は、嘉永2年に後悔餡税を守る灯台として黒崎湊の入口に建てられたもので、今は消滅した黒崎湊の存在を示す貴重な歴史遺産です。洞海湾には、黒崎湊と若松湊があって、黒崎湊は人を運び、若松湊は貨物の運搬を分担して重要な役割を果たしていました。その後も、黒崎湊は筑前国と大坂を結ぶ乗合貨客船が発着した湊として、黒崎宿の発展に貢献。幕末には、三条実美ら五卿もこの湊に上陸しました。


■黒崎宿東構口跡(第9チェックポイント)

こちらでは冷たいお茶と飴を振舞っていただきました。

【黒崎宿東構口跡】1615年に黒崎城を廃止、その城の南側にあった塀を埋めて設けた番所で、白塗の袖塀があり、その内側から人家が並んでいました。4人が昼夜交代で詰め、旅人の監視を行っていた場所です。


■春日神社(第10チェックポイント)

【春日神社】昔は、花尾城主麻生氏の祖神としていましたが、その後黒田長政が黒崎城を築いた1604年に現在地に移されました。社宝として「絹本着色黒田二十四騎画像」があります。


■黒崎商店街


▲興玉神(第11チェックポイント)

【興玉神】祭神は猿田彦命で、日向高千穂峰降臨の際の道案内であった。古くから街道や村境を守り、福を招く神として崇敬されていた


▲Mr.ピッグマン

黒崎に来たら必ず立ち寄ろうと決めてるお店。店内に入り、大盛りちゃんぽん(530円)と手作り豚まん(70円)を注文。

味は大変美味しかったのですが、思ったよりも量が多かったため、このあとしばらくウォーキング中は横っ腹が痛かったです^^;




■岡田神社

【岡田神社】古事記に神武天皇が東征の折に逗留したと記載されている古社で、天・地・人の三ノ宮を有する。 毎年七月に岡田宮へ奉納する黒崎祇園山笠は北九州の風物詩として有名である。


■黒崎宿西構口跡

【黒崎宿西構口跡】構口とは、いわゆる番所のことです。1615年に黒崎城を廃止、城の南側にあった堀を埋めて構口を開き、番所を設けて旅人を監視したのが始まりです。西の構口、熊手には3人の役人が昼夜交代でつめ、旅人の監視をしていました。


■黒崎ひびしんホール

Bコースのゴール地点でCコースのスタート地点である黒崎ひびしんホールでは、焼きそばなどが販売されており多くの方たちが休憩されていました。



■曲里の松並木(第12チェックポイント)

この半年で3度目の訪問になります。何度来ても風情がある並木道です。

【曲里の松並木】当時幕府が全国の街道に松や杉を植樹させた名残で、昭和20年頃まで黒崎から木屋瀬にかけて多くの松を残していましたが、松くい虫の被害によって枯れ、当時の松も残り2本になっています。枯れても植え直すことで、この周辺のみが当時の面影を留めており、約600m続く並木のうち約310mが市指定史跡になっています。






黒崎(曲里の松並木)~木屋瀬宿記念館の様子は後編に書きたいと思います。

■前編感想

前編で歩いたコースは以前第23回 ワールドマーチ元気!スマイルウォークin北九州で歩いたコースとほとんど一緒だったのですが、スマイルウォークでは団体歩行のため各名所をじっくり見てまわることができなかったのに対し、今回は自由歩行ということでじっくり見て回ることができ、新たな再発見もあってとても楽しかったです。あと私には団体歩行は向いてないなと実感しましたw

    

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