長崎街道歴史発見ウォークに参加してきました 後編
前回(長崎街道歴史発見ウォークに参加してきました 前編)の続き
前編は長崎街道でいうところの小倉城下(スタート)から黒崎宿までの様子を書きましたが、後編は黒崎宿から木屋瀬宿(ゴール)までの様子を報告したいと思います。
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■幸神神社(第13チェックポイント)
旅の安全を祈願してここでわらじを履き替え、そのわらじを奉納したことや江戸時代に植樹された松の樹のうち現存する2本のうちの1本の場所などガイドさんにマンツーマンで色々と教えていただきました。
【幸神神社】江戸時代から、長崎街道の道標や休憩所として、旅人の道中安全の守り神が祀られてきました。道祖神と猿田彦が同時に奉られています。
■幸神の一里塚跡
■凉天満宮(第14チェックポイント)
【凉天満宮】この神社は、菅原道真をお祀りしている「菅原神社」です。境内にあった大松の下で旅人が涼んで休憩したことから「すずみ」の名がついたといわれています。言い伝えでは、昔この松に荷物をかけたまま立ち去り、後でこれに気づき、すぐ立ち寄るとそのまま残っていたということです。今では松の木も枯れてなくなってしまいました。
■やから様
【やから様】源平合戦に敗れた平家一門の稚児を抱えた女性は、源氏の追討を逃れるため、この地を通りかかりましたが疲れ果てて道脇の谷で野宿をしていました。その時、落人を追っていた豊後国久住の伊藤兵衛尉らに、子供の泣声が聞かれたため、とうとう見つかってしまいました。そのため、女性は夜泣きする子供を助けようと自ら短刀にて命をすててかばいました。このため、里人は、名も分からない哀れな平家の女性の冥福を祈って、祠を建てました。以後、夜泣きする幼児を治そうとこの祠に願かけをするようになり、「やから様」と呼ぶようになりました。
■八児地蔵様(第15チェックポイント)
気づかずに一旦通り過ぎてしまいましたヾ(‘A`;)ノ
■小嶺の一里塚
気づかずに通り過ぎてしまったので写真は撮れてません(ノд・。) グスン
さっきの八児地蔵様でもそうですが、ここら辺はかなり疲れていて頭がボーっとしていたようです。
■立場茶屋銀杏屋(第16チェックポイント)
2月15日(金)から3月31日(日)まで、立場茶屋銀杏屋、もやいの家、旧高崎家、長崎街道木屋瀬宿記念館の4施設においてひなまつりイベントを行っており、ここ立場茶屋銀杏屋ではちょうど3月17日迄がイベント開催日だったようです。こちらでは冷たいお茶を振舞ってもらいました。館内撮影可。
【立場茶屋銀杏屋】長崎街道の黒崎宿と木屋瀬宿との間の「立場茶屋銀杏屋」として、参勤交代の諸大名をはじめ、長崎奉行、巡見使などの休憩場所。庭に銀杏の大木があるので「銀杏屋敷」「銀杏の木」とも呼ばれている。この地方を測量した伊能忠敬がここで昼食をとったと「測量日記」の中に記されている。
■石坂の急坂
この辺りから、雨が降ってきました。
【石坂の急坂】黒崎宿と木屋瀬宿間の難所であり、ここでは参勤交代の大名達も籠から降りて、歩いて登ったと言われています。
■大日堂(第17チェックポイント)
残すチェックポイントはゴールのみです。あとひと踏ん張り!
■茶屋の原の一里塚跡
■木屋瀬宿東構口跡
【木屋瀬宿東構口跡】黒崎宿方面からの木屋瀬宿の入口で、岡森用水路の傍らにあったとされています。構口は宿場の東西にあり、西の構口には現在も当時の石垣が保存されています。
■郡屋(家)跡
【郡屋(家)跡】郡内の村役人と藩の役人の集会所として使われ、大名などの通行の人馬割当、年貢の調整、普請の打ち合わせなどを相談しました。
■問屋場跡(野口家)
【問屋場跡(野口家)】人馬継や飛脚・荷物を取り扱う所で問屋前は他の所より道幅も広く、水害対策として建物も宿内で一番高い所にありました。大正から昭和初期にかけて日本の学校教育に多大な貢献をした教育者である故野口援太郎の生家でもあります。
■長崎街道木屋瀬宿記念館(ゴール地点)
15時10分頃到着。ゴール受付では最後のスタンプを押してもらい、完歩証明書と金平糖を頂きました。ヽ(*´v`*)ノ
▲こやのせ座
こやのせ座で休憩していると、係員の方から「みちの郷土史料館」で長崎街道歴史発見ウォークの参加ゼッケンを見せると入館料が無料になるとのアナウンスがありました。「みちの郷土史料館」では、立場茶屋銀杏屋でも開催されていたひなまつりイベントが行われていたので立ち寄ってみることにしました。
▲みちの郷土史料館(館内撮影不可但し雛飾りは撮影OK)
ゼッケンを見せ、無料で入館できました^^
雛飾りだけでなく、木屋瀬宿のジオラマなど興味深い展示品がたくさんありました。
■木屋瀬もやいの家(店内撮影可)
せっかくなので、ひなまつりイベントが行われている残り2ヶ所にも立ち寄ってみることにしました。
まず最初は木屋瀬もやいの家です。ここはお土産物屋さんになっていますが、店内は小さな美術館のような趣あるお店でした。
■船庄屋跡(梅本家)
【船庄屋跡】江戸時代、木屋瀬には年貢米の積み出し所や渡し場がありました。遠賀川では「川ひらた」と呼ばれる川船がさかんに運航していましたが、年貢米を運ぶ権利を持つ川船を管理していたのが船庄屋です。梅本家は江戸末期24艘の預かり船庄屋で、当時は油屋と号し、酒醸造業を営んでいました。明治に入って醤油醸造業に代わり、昭和10年代まで続いた家です。
■愛宕山護国院
【愛宕山護国院】明応2年源水が八幡西区香月の聖福寺の末寺として創建。当時、火災が頻発し悪疫が流行しましたが、源水の祈願で火災疫病が収まりました。そのため、火災病難に霊験あらたかだと参詣者が多かった、と伝えられています。平成12年に市指定有形民俗文化財に指定された「板絵著色木屋瀬宿図絵馬」は、ここに奉納されていました。
■旧高崎家住宅(館内撮影可)
ひなまつりイベント最後の場所です。入館料は無料でした。
【旧高崎家住宅】江戸自時代末期の大きな商家の代表的な宿場建築として修復され、現在一般公開している。高崎家は、かつて板場と呼ばれる絞蝋業を、明治には醤油醸造業を営んでいた。「向こう三軒両隣り」などで有名な放送作家・伊馬春部の生家です。
■JR筑前植木駅
16時30分頃到着。電車に乗って帰路に就く。
■今回の戦利品
スタート時に頂いた手さげ袋とゴール時に頂いた金平糖です。
■感想
長崎街道約27kmを自由歩行で完歩を目指すと聞いたときは絶対に迷うだろうと思っていたのですが、実際参加してみるとコース途中には誘導の矢印や旗、スタッフなどが十分すぎるほど配置されており、迷うことなくゴールすることができました。
また、名所ごとにガイドさんが説明してくれたり、食べ物や飲み物の振る舞いがあったりして、さすが参加費1,000円だけあってサービスが行き届いた大会だったなあというのが実感です。
北九州市制51周年を記念して来年開催されるかわかりませんが、もし開催されるのであれば是非参加したいと思います。
ネット検索してたら、拝見しました。
私も参加しておりました。
(後姿が映りこんでる写真がありビックリでした!)
途中雨が降ってきたあたりで、雨宿りをして続けるかどうするかかなり迷い、
ふくすけさんより遅れること30分到着。
初めてのウォーキングでしたが、とても楽しかったです。
これからも色々調べて、またどこかで参加したいなと思っています。