城下町中津のひなまつりを歩く 中編
前回(城下町中津のひなまつりを歩く 前編)の続き
今回は福澤諭吉旧居・記念館から中津城までの様子を報告します。
■福澤諭吉旧居・記念館(館内撮影禁止) [地図]
中津城との共通観覧券が600円だったのでそれを購入して入館しました。
敷地内には福澤諭吉の銅像があります。
どうか私の財布の中身が福澤諭吉先生で埋まりますように(^人^)
福澤記念館では福澤諭吉の生涯についての資料や発行番号1番の1万円札、福澤家に伝わるお雛様の展示などが行なわれていました。
福澤記念館に隣接するこちらの建物は、福澤諭吉が蘭学を学ぶために長崎へ行く19歳までを過ごした家です。母屋や勉強部屋の土蔵などが当時のまま残っています。
邸内は立入りできなかったので、外の庭から写真をパシャリ
■北部集会所 [地図]
北部集会所前のテントでは地元の特産物や民芸品などの販売やお茶の振舞いが行なわれていました。こちらの会場は約3,000体の様々な種類のお雛様たちが展示されており、その数に圧倒されます。
変わりびなもいい味出してます^^
■和田豊治生誕地 [地図]
今話題の理化学研究所などの創立に携わった財界人です。
【和田豊治】当時倒産の危機にあった富士紡績を、卓越した敏腕により見事に立て直した功績を持つ人物。大正5年、中津の青少年育英のため和田奨学会をつくり、その恩恵を受けた社会人は300名を超えています。
■中津城 [地図]
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」のおかげでしょうか、多くの観光客で賑わっていました。
【中津城】1588年に黒田官兵衛が築城し、その後細川氏、小笠原氏、奥平氏と引き継がれた城です。水門より海水が入り、潮の干満で水が増減する水城で、高松城、今治城とともに日本三大水城に数えられます。城郭の形が扇の形をしていたことから「扇城」とも呼ばれていました。
本丸北側には、石垣にу状の目地が通る場所があります。川沿いの四角く加工された石が黒田の石垣、その上にのる自然石が細川時代の石垣として有名です。黒田の石垣は直方体で、一辺の断面がL字にカットされているのが特徴です。
石垣の前で鎮座する黒田官兵衛像。
江戸時代の絵図には天守閣は描かれていないため、天守閣の存在については不明であるが、現在の天守閣は昭和39年に旧藩主奥平氏の子孫が市民の寄附を受けて観光開発を目的に建てた模擬天守閣だそうです。
福澤諭吉旧居・記念館で購入した共通観覧券で天守閣の中に入ります。
天守閣内(撮影可)には初代城主の黒田官兵衛に関する資料が展示されているだろうと期待していたのですが、展示されている資料の多くは中津藩最後の藩主奥平家に関するものばかりでした。
天守閣から中津市街地を眺めます。
■黒田官兵衛資料館(館内撮影不可) [地図]
黒田官兵衛に関する資料はこちらの資料館に多く展示してありました。しかも入館料は無料です^^
【黒田官兵衛資料館】2014年1月、中津城天守閣のたもとに開館。豊前国統治時の黒田官兵衛の足跡を中心に紹介したパネル展示や動画放映ブースなどがあります。
資料館前には観光地ではお馴染みの顔出しパネルがありました。
■奥平神社 [地図]
中津藩主、奥平昌成を祀る神社です。中津城の敷地内には、他にも中津大神宮、城井神社、扇城神社、中津神社などの多くの神社が点在しています。
■黒田官兵衛みやげ館 [地図]
【黒田官兵衛みやげ館】2013年12月にオープン。ゆるキャラ「くろかんくん」のグッズや黒田官兵衛関連の菓子、中津銘菓などが多数取り揃えています。
■独立自尊の碑 [地図]
【独立自尊の碑】1904年に建立されたもので、当初は福澤諭吉の銅像を建設する計画でしたが、福澤は生前、銅像建立を好まなかったことから、福澤の精神を表すこの語を刻む石碑とされました。
■三斎池 [地図]
【三斎池】中津城の二代目の城主である細川忠興が城内の用水不足を補うために、城内への水道の大工事を行いました。その水がこの池に入れられ、鑑賞や防火用水としても使われたそうです。忠興の号である「三斎」を冠して「三斎池」とよばれています。
中津城もひなまつり会場の1つなのに雛人形が全然飾られていないなと思っていたのですが、2014年3月1日・2日に人間ひな飾りが行なわれる会場だったんですね。来年は是非とも人間ひな飾りの開催にあわせてJR九州ウォーキングも開催してもらえるとうれしいですね
穴太積みの技法が用いられている本丸南の石垣を見学した後は、ひなまつり会場の小幡記念図書館に向かって歩いて行きます。
後編に続く
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