勝手にウォーキング大会in能古島
本日は、福岡市西区能古島で平成24年11月10日に行われた「能古島一周ウォーキング大会」を勝手に開催したいと思います。前回の日記にも書きましたが、JR九州ウォーキング2013年早春編のパンフレットを博多駅に取りに行くついでに急遽決定したのでかなりバタバタとしたウォーキングになってしまいました^^;
■能古島一周ウォーキング大会概要
▲開催日
平成24年11月10日(土)
▲大会会場
能古島浜崎グランド
▲スケジュール
09:30 受付
10:40 開会式
11:00 ウォーキングスタート
14:00 ゴール
▲コース
能古島外周8.5km
■勝手にウォーキング大会特別ルール
ルートですが、以下の資料を参考に次のように変更しました。
▲ルート
●動くルート図
⇒勝手にウォーキング大会in能古島(ルートラボ)
※ルートの閲覧には、Microsoft Silverlight 3.0以上が必要となります。最新のMicrosoft Silverlightをダウンロード(無料)するには、こちらから
▲参考資料
●福岡歴史探訪ウォーキング [楽天] 77ページの地図
■市営地下鉄姪浜駅
13時10分頃到着。次の能古島行きのフェリーが14時15分で時間があったので姪浜旅客待合所まで歩いていく。
■姪浜旅客待合所
13時35分頃到着。私は歩いてきましたが、姪浜駅から20~30分間隔でバスが運行されています。また、車で来られる方は待合所隣に立体駐車場がありますのでそこに駐めるのがいいでしょう。
【姪浜旅客待合所】年中無休 姪浜~能古島:所要時間10分 片道:大人220円 小人110円
【姪浜旅客待合所第2駐車場】利用時間:平日 午前5時~午後11時 日祝日 午前6時~午後11時 利用料金:1日1回1台につき500円
■レインボーのこ
14時15分定刻通り出発。揺れは感じませんでした。
■能古旅客待合所(スタート地点)
14時25分頃到着。乗船時間は約10分でした。
■永福寺
▲二十八観音
【二十八観音】昭和21年10月5日に渡船が沈没。28人が亡くなった。その霊を慰め、航路の安全を祈る為に建立された。
■能許万葉歌碑
【能許万葉歌碑】島内に2ヶ所ある万葉歌碑の1つ。能許という最も古い地名が初めて文献にでた歌で、歌碑には「風吹けば沖つ白波恐みと能許の亭に幾多夜ぞ寝る」と刻まれており、かつて新羅を目指した遣新羅使が風待港として滞在した糸島・唐津港からの心情が語られた歌です。
■能古焼古窯跡
【能古焼古窯跡】明和~天明年間(1764~1787)の短い間に操業された藩窯で、昭和63年に発掘調査された。窯本体の長さが22m,最大幅5.28m,比高差5.2m 焚口部と焼成部7室からなる8室構造の 連房式登窯です。
■孔子廟
■能古博物館
2月14日まで冬季休館のため館内には入れませんでした。
■白髭神社
奈良時代の創建といわれる島唯一の神社。祭神は猿田彦命、住吉大神、神功皇后、志賀明神などである。境内には「力石」という2個の丸い石があり、昔は若者がこの石で力試しをしたそうです。江戸時代中期に廻船業者から寄進された鳥居も残っており、毎年10月9日に開催される「おくんち」は、福岡市の無形重要文化財に指定されています。
■檀一雄歌碑
檀一雄の旧宅は既に取り壊されていて新しい家が建っていました。歌碑には「つくづくと櫨の葉 朱く染みゆけど 下照る妹の有りと云はなく」と刻まれており、亡き妻リツ子さんのことを詠んだ歌だそうです。
■鹿垣
檀一雄歌碑から能古島中央部の展望台を目指したのですがちょっと迷ってしまい、40分ほど時間を取られる。
【鹿垣】江戸時代の後期、能古島は黒田藩の鹿の狩猟場であった。ところが田畑への鹿の被害が著しかったため、東の北浦から西の白鳥までの東西約2kmにわたり島を南北に分断する石垣を築いた。これが現在も残る鹿垣で、1836年に完成したという。
■早田古墳
林の中まで入っていったのですが、古墳の場所はよくわかりませんでした。
【早田古墳】能古島中央南側の丘陵部に並んで位置する横穴式石室を埋葬主体部とする2基の円墳である。墳径は7~9mだが、墳丘はほとんど残らない。2号墳の石室がほぼ完存し、長さ6.2mをはかる。ともに7世紀前後の築造とされる。
■展望台
ここに来るまでの坂道でかなりバテてしまいましたが、展望台からの360°の大パノラマで疲れが吹っ飛びました。もう少し晴れていれば最高でした。
■いざなぎ石といざなみ石
■檀一雄文学碑
逆光でわかりづらくてすいません^^;
文学碑には「モガリ笛いく夜もがらせ花ニ逢はん」と刻まれており、作家壇一雄、絶筆の句です。
■のこのしまアイランドパーク
本当なら入園したかったのですが、辺りが暗くなり始め、時間がなくなってきたのでスルーしました。
■牧の神神社
【牧の神神社】古くは牧大明神三社といわれていました。古代この地に牛牧があり、その鎮守としてお祀りした神社だといわれています。
■也良崎万葉歌碑
予定ではここから島の南側を経由する自然探勝路を通って能古旅客待合所にいくはずだったのですが、辺りが暗くなり始め、街灯もない道を通って帰るのが嫌だったので、島の北側経由の桜道を通って帰ることにしました。
【也良崎万葉歌碑】万葉時代、北部九州には国を守るために遠く関東から派遣された兵士・防人たちが置かれており、ここ也良崎は、防人が置かれたことが確定されている全国唯一の場所です。この「沖つ鳥 鴨とふ小舟の 還り来ば 也良の崎守 早く告げこそ」は山上億良の作といわれています。船出して帰らぬ人となった夫を恋い慕う妻子の悲しみが詠まれた名首です。
■桜道
■土手崎
■能古旅客待合所(ゴール地点)
17時25分頃到着。17時30分発の姪浜行きのフェリーに慌てて乗り込む。
■姪浜旅客待合所
17時40分頃到着。辺りはすっかり暗くなっていた。ここから姪浜駅まで歩き、帰路につく。
■感想
何の下調べもせずに思いつきで能古島まで来てしまったので、なんとも手際の悪く中途半端なウォーキングをしてしまった。また近いうちに能古島でのウォーキングをしたいと思います。その時まで感想は保留にしておきます。
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