佐賀城下ひなまつりを歩く 中編
前回(佐賀城下ひなまつりを歩く 前編)の続き
今回は佐賀城本丸歴史館からのウォーキングの様子を報告したいと思います。
■佐賀城本丸歴史館(展示資料の接写と一部の展示室の撮影禁止) [地図]
西門から入ります。
【佐賀城本丸歴史館】幕末・明治維新記には日本近代化を先導する存在であった佐賀城の本丸御殿の再建が行われ「佐賀城本丸歴史館」として平成16年8月開館。木造復元建物としては全国最大級。
本丸御殿は当時の正確な位置に再建されているそうです。佐賀城本丸歴史館の入場料は基本的に無料ですが、出口付近に寄進箱があるので毎回ポケットの中の小銭を全部入れるようにしています。
入口そばの御式台では真多呂人形の雛飾りが展示されていました。真多呂人形は、江戸時代から受け継がれた木目込み人形の技法を引き継ぎ、新たな創意工夫を加えて独自の作風を完成させたもので、穏やかな表情とふっくらとした気品のある顔立ちが特徴です。
外御書院です。一之間、二之間、三之間、四之間を合わせると320畳の広さになります。お世継ぎのお披露目、幕府からの贈答品のお披露目など、佐賀藩の公式行事が行われていました。
外御書院の四之間では、毎週日曜日に佐賀の八賢人おもてなし隊による歴史寸劇が行われています。この日は大隈重信、江藤新平、島義男の三賢人による15分ほどの寸劇を観劇させていただきました。
この寸劇を観劇すると、2月15日にオープンしたばかりの開運さが恵比寿ステーション [地図]で使えるコーヒーのサービス券が貰えます^^
御三家座です。小城家・蓮池家・鹿島家の御三家の部屋でした。今は常設展示室として使われています。
御座間です。藩主鍋島直正の居室だった場所です。
アームストロング砲の模型が展示してありました。
御料理間です。家臣や藩外の人たちとの対面や、食事の場所として利用されていました。こちらも今は常設展示室として使われています。
■佐賀城鯱の門及び続櫓 [地図]
【佐賀城鯱の門及び続櫓】佐賀城は鍋島氏35万7千石の居城で、この鯱の門は本丸の門として1838年に完成したものです。1874年の佐賀の役で、一部の建物が被災しました。その時の戦闘の激しさを物語るものとして、鯱の門の扉には弾痕が今も残っています。国の重要文化財にも指定されている門です。
さがレトロ館の前を通り、次の目的地の大隈記念館に向かいます。こちらは旧警察庁舎の建物を利用したお店で、2階がレストランになっています。佐賀牛を使ったシシリアンライスは大変美味しいと評判です。
勝手にウォーキング大会in佐賀の際は入場料が300円かかるということでスルーしたのですが、今回はJR九州ウォーキングの特典で無料で入館できました^^v
【大隈記念館】早稲田大学の創設者として有名な大隈重信の誕生125年を記念して開館。大隈重信にまつわる歴史資料を数多く展示しています。早稲田大学名誉教授今井兼次博士の手によるデザインで、大隈重信のどっしりして動かざる姿をイメージして建てられています。敷地内には大隈重信の生家があり、天保以前の武家屋敷の面影を残した貴重なもので、国の史跡に指定されています。
こちらが大隈記念館です。「大隈家の女性たち」という企画展が開催されていました。この企画展をみて初めて大隈重信が女子教育に力を注いだことを知りました。大隈重信は明治22年に暴漢に襲われ、爆発物を投げつけられたことが原因で右足を切断したのですが、その後使用していた義足などが展示されていました。
早稲田大学構内にあるガウン姿の大隈重信銅像は有名ですが、こちらの敷地内にも立派な銅像がありました。
こちらが大隈重信の旧宅(生家)です。佐賀城下ひなまつりの期間中の土・日・祝のみ特別に一般公開がされています。
生家2階には大隈重信が幼少時代に勉強していた部屋が残っており、眠気覚ましに頭をぶつけた梁も残っていました。
大隈記念館を後にし、いよいよ佐賀城下ひなまつりのメイン会場である佐賀市歴史民俗館へ向かって歩いて行きます。
後編に続く
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