勝手にウォーキング大会in島原【佐世保島原105kmゴール編?】

2014年5月3日()~4日()に開催された第3回 佐世保~島原ウルトラウォークラリーに参加し、佐世保から島原までの105キロの道のりを20時間台後半で完歩することができました。

平均速度5km/h以上でのゴールを達成しようと最終CPからはかなりのハイペースで歩いた為、完歩後は酷い筋肉痛に見舞われたのですが、せっかく島原まで来ているのに観光もせずにタダでは帰れないと思い、筋肉痛の足を引きずりながら「勝手にウォーキング大会in島原」を開催してきました。今回はその様子を報告したいと思います。

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■勝手にウォーキング大会in島原ルート

以下の資料を参考に次のようなルートを歩いてきました。

▲動くルート図

勝手にウォーキング大会in島原(ルートラボ)

※ルートの閲覧には、Microsoft Silverlight 3.0以上が必要となります。最新のMicrosoft Silverlightをダウンロード(無料)するには、こちらから

▲参考資料

島原観光おでかけナビ


■島原城(佐世保~島原ウルトラウォークラリーゴール地点) [地図]

森岳公民館[地図]に用意されていたパンやラーメンなどを食べて休憩し、1時間ほどゴール付近で完歩者に拍手や声援を送った後は、汗を流すために島原温泉ゆとろぎの湯まで歩いて行きます。

【島原城】松倉豊後守重政が1618年から7年の歳月をかけて築城しましたが、明治維新により廃城になりました。現在の天守閣は1964年に復元されたもので、1階はキリシタン史料館となっています。また、巽の櫓は西望記念館、丑寅の櫓は民具資料館などに利用されています。


万町付近のアーケード商店街内を歩きます。


■島原温泉 ゆとろぎの湯 [地図]

森岳公民館から約15分ほど歩いて島原温泉ゆとろぎの湯に到着しました。佐世保~島原ウルトラウォークラリー参加者はゼッケンを提示すると1割引で入浴することができます。

湯船に浸かり足をマッサージしたのですが、やはり筋肉痛は治りませんでした(><)


ゆとろぎの湯駐車場の一画に、足湯も設置されていました。こちらの足湯は24時間無料で利用することができます。


また、足湯の横には温泉の飲泉所がありました。慢性消化器病や糖尿病、痛風などに効果があるとのことです。


■水頭ポケットパーク [地図]

島原大変前、このあたりは「波止場水頭」といわれ船番所があった所で、今でも水頭という地名で呼ばれています。昭和16年に地元住民の方が井戸を掘ったところ豊富な湧水が湧き出て、今も住民の生活の中にとけ込んでいます。


井戸の横にいる亀に自分の年齢の数だけ湧水をかけると長生きできると昔から言われています。


■鯉の泳ぐまち

新町のアーケード街の裏手にのびる新町通りは、別名「鯉の泳ぐまち」と呼ばれています。島原は古くから水の都といわれていますが、中でも新町一帯は特に湧き水が豊富で、道路沿いに流れる水路には色鮮やかな錦鯉が泳いでいました。


▲湧水庭園 四明荘 [地図]

「鯉の泳ぐまち」の中心にある日本庭園です。庭内にある大小3つの池では1日に1000トンの湧水が湧き出ています。四方の眺望に優れていることから、主屋は「四明荘」と名付けられたそうです。


座敷ではお茶を振舞っていただきました。お茶を飲みながら縁側に座って、池で悠々と泳ぐ錦鯉を眺めているととても心が落ち着きました^^


▲しまばら湧水館 [地図]

「鯉の泳ぐまち」にある無料休憩所です。ここでは島原の郷土料理「島原かんざらし」の調理体験ができます。


■猪原金物店 [地図]

創業明治10年、九州で2番目に古い歴史の金物店で国の登録有形文化財になっています。


店先の速魚川の湧水は自由に飲んだり、持ち帰ることができます。


■松平文庫(島原図書館) [地図]

島原藩大老・松平勘解由屋敷跡は現在島原図書館として利用されています。図書館の2階には、1万点もの藩政時代の貴重な文書類が「松平文庫」として伝わっています。


■武家屋敷 [地図]

江戸時代にタイムスリップしたような街並みをのんびりと散策してきました。

【武家屋敷】島原城築城の際に、扶取70石以下の武士たちの住まいが建設されました。戦いの時には鉄砲を主力とする歩兵部隊の住居であったので鉄砲町とも呼ばれています。篠塚邸、山本邸、鳥田邸の3軒は一般に無料開放されていて、内部は当時の衣装を身に着けた武士の人形などがあり、自由に見学することができます。また、街路の中央の水路は豊かな湧水を引いたもので、生活用水として大切に守られてきました。


▲篠塚邸

【篠塚家】当主は代々順右衛門を称し、祖先は三河(愛知県)深溝の出身でした。明治初期まで11代、8石から13石2人扶持を給され、主として郡方祐筆(書記)や代官などを勤めていました。




▲山本邸

【山本家】初代左五左衛門は、忠房公の先代三河(愛知県)の吉田城主忠利公時代から家臣となり、1749年、1774年、6代忠恕公の島原への所管の所替に際して随行し、その後幕末まで前後13代の城主に仕えました。



▲島田邸

【鳥田家】藩主松平氏の草創以来の古い家柄で、1669年に島原に転じています。歴代地方代官・郡方物書などを勤めたが、幕末には御目見獨禮格で7石2人扶持を受け、材木奉行・宗門方加役・船津往来番などの重職につきました。



■時鐘楼 [地図]

【時鐘楼】島原藩の名君松平平忠房公は「人々に時刻を知らせ、守らせることは政治の中でも大切なことである。」と、鐘楼を建立しました。明治維新後も長くお城の鐘として重宝がられていました。1944年、太平洋戦争の金属供出命令によって運び去られましたが、戦後復活しました。


■島原鉄道 島原駅 [地図]

満身創痍で島原鉄道島原駅に到着。色々なウォーキングイベント後に勝手にウォーキング大会を開催してきましたが、100キロウォークの後はやるもんじゃないなと痛感しましたw

18時02分発の福岡行き高速バスに乗って帰路に就きました。


       

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