勝手にウォーキング大会in下関~金子みすゞ詩の小径を歩く~

前回(関門海峡周遊ウォーク~もうひとつのゴールを歩いてみた~)の続き

JR下関駅開催のJR九州ウォーキング中に2時間ほどコースを外れて、「勝手にウォーキング大会in下関」を開催してきました。

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■勝手にウォーキング大会in下関

以下の資料を参考に次のようなコースを歩いてきました。

▲動くルート図

勝手にウォーキング大会in下関(ルートラボ)

※ルートの閲覧には、Microsoft Silverlight 3.0以上が必要となります。最新のMicrosoft Silverlightをダウンロード(無料)するには、こちらから

▲参考資料

「金子みすゞ詩の小径」のパンフレット


福岡散歩マップ [楽天] 158・159ページの地図(クリックで拡大)


■旧秋田商会ビル(館内撮影可)

建物の外観は洋風でおしゃれだが、内部は和室もあり和洋折衷でした。手動のエレベーターや大正時代に水洗化されたトイレなども見学させていただきました。屋上庭園は、2日後の4月29日()に特別公開されるとのことでした。

1階の観光情報センターで「金子みすゞ詩の小径」のパンフレットを見つけました。1年前に亡くなった父が好きな詩人だったのでこのパンフレットを頼りに金子みすゞの足跡をたどってみたいと思います。

【旧秋田商会ビル】大正4年、秋田商会の事務所兼住居として建設された西日本初の鉄筋コンクリート造りのビル。秋田商会は日清戦争以後の海外進出機運に乗って創設された海運会社で、海外貿易を主な業務にしていました。外観は洋風ながらも、2、3階は書院造住宅、屋上には日本庭園などもあり、屋上の塔屋は灯台の役目をしていました。現在、屋上以外は公開され、1階は観光情報センターになっています。






■①みすゞ詩の小径(出発点)

金子みすゞ詩の小径の出発点です。旧秋田商会ビル前にあります。

詩碑「障子」

お部屋の障子は、ビルディング。
しろいきれいな石づくり、
空まで届く十ニ階。
お部屋のかずは、四十八。
一つの部屋に蝿がゐて、
あとのお部屋はみんな空。
四十七間の部屋部屋へ、
誰がはいつてくるのやら。
ひとつひらいたあの窓を、
どんな子供がのぞくやら。
――窓はいつだか、すねたとき、
指でわたしがあけた窓。
ひとり日永にながめてりや、
そこから見える青空が、
ちらりと影になりました。


■下関南部町郵便局

旧秋田商会ビルに隣接して建っています。レトロな雰囲気がいいですね^^

【下関南部町郵便局】明治33年に建てられた下関に現存する最も古い洋風建築物。また、国内最古の現役郵便局舎でもあります。洋風2階建てのレンガ造りで、外壁のレンガの厚さは60cmという堅固なもので、設計は逓信省技師の三橋四郎です。



■山口銀行旧本店(やまぎん資料館)

ギリシャ神殿のような外観がかっこよかったです。

【山口銀行旧本店】1920年に三井銀行下関支店として竣工し、銀行建築の名手と謳われた長野宇平治の古典主義銀行建築の代表作でもあります。歴史的価値から山口県の有形文化財に指定されている。2008年からは、銀行史資料や山口県の伝統工芸品などの展示棟と併せて「やまぎん史料館」として新たにオープンし、一般公開されている。


■②上山文英堂書店本店跡(みすゞ終焉の地)

1923年、20歳の金子みすゞが長門市仙崎から移り住んだ地です。みすゞは、この地におよそ3年半住み、勤め先の上山文英堂支店へ通いながら、たくさんの詩を創作しました。結婚ののち、1930年3月10日、26歳で亡くなったのもこの地です。明治安田生命ビルにあります。

詩碑「みんなを好きに」

私は好きになりたいな、
何でもかんでもみいんな。
葱も、トマトも、おさかなも、
残らず好きになりたいな。
うちのおかずは、みいんな、
母さまがおつくりなつたもの。
私は好きになりたいな、
誰でもかれでもみいんな。
お醫者さんでも、烏でも、
残らず好きになりたいな。
世界のものはみィんな、
神さまがおつくりになつたもの


■③金子みすゞ顕彰碑(寿公園)

この碑は、みすゞの20歳の写真と紹介文、詩「はちと神さま」の3枚で構成され、みすゞを顕彰するため、上山文英堂があった場所に近い南部町の寿公園に平成10年6月に設置されました。

詩碑「はちと神さま」

はちはお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土べいのなかに、
土べいは町のなかに、
町は日本のなかに
日本は世界のなかに
世界は神さまのなかに。
そうして、そうして、神さまは、
小ちゃなはちのなかに。


■④黒川写真館跡

金子みすゞが、20歳の記念写真を撮ったのが、この地にあった黒川写真館(今の村田写真館)といわれています。

詩碑「山の子 濱の子」

町を見て來た山の子よ、
町には何がありました。
 
日ぐれの辻の人ごみに、
踏まれもせずにぽつちりと、
森の一軒屋の灯のやうに、
茱萸がこぼれて居りました。
 
町を見て來た濱の子よ、
町には何がありました。
 
電車どほりの水たまり、
底のきれいな青空に、
さみしい晝の星のよに、
鱗がうかんで居りました。


■⑤弁財天橋

みすゞは田中川にかかるこの橋を渡って商品館内の上山文英堂支店へ通っていたと考えられる。

詩碑「すなの王国」

わたしはいま
すなのお国の王様です。
お山と、谷と、野原と、川を
思うとおりにかえてゆきます。
おとぎばなしの王様だって
自分のお国のお山や川を、
こんなにかえはしないでしょう。
わたしはいま
ほんとにえらい王様です。

詩碑「ふしぎ」

私はふしぎでたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀にひかっていることが。
 
私はふしぎでたまらない、
青いくわの葉たべている、
かいこが白くなることが。
 
私はふしぎでたまらない、
たれもいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。
 
私はふしぎでたまらない、
たれにきいてもわらってて、
あたりまえだ、ということが。


■下関市立近代先人顕彰館(田中絹代ぶんか館)

1階ふるさと文学館には、下関にゆかりのある近代以降の文学者とその作品を、2階田中絹代記念館には、田中絹代の遺品をはじめ、出演作の台本、ポスター、スチール写真など貴重な映画資料を展示しています。



■⑥商品館跡

金子みすゞは、この場所にあった商品館内の上山文英堂支店で働きながら、たくさんの詩を創作しました。山口銀行下関ビジネスサポートプラザ出張所入口付近にあります。

詩碑「キネマの街」

あおいキネマの
月が出て
キネマの街に
なりました。
屋根に
黒猫
居やせぬか。
こわい
マドロス
来やせぬか。
キネマがえりに
月が出て
見知らぬ街に
なりました。


■⑦詩碑「日の光」

この詩碑は、みすゞの命日(3月10日)に近い、1997年3月9日に設置されました。下関市内のみすゞの詩碑第1号で、唐戸銀天街の広場に建てられています。

詩碑「日の光」

おてんと様のお使ひが
揃って空をたちました。
みちで出逢ったみなみ風、
(何しに、どこへ。)とききました。
一人は答へていひました。
(この「明るさ」を地に撒くの、
みんながお仕事できるやう。)
一人はさもさも嬉しさう
(私はお花を咲かせるの、
世界をたのしくするために。)
一人はやさしく、おとなしく。
(私は清いたましひの、
のぼる反り橋かけるのよ。)
残つた一人はさみしさう。
(私は「影」をつくるため、
やつぱり一しよにまゐります。)


■亀山八幡宮

維新・海峡ウォークの際、亀山本陣・赤間の関という関所になった場所です。

【亀山八幡宮】859年創建されたと伝えられる古社です。市民からは「関の氏神」として親しまれ、境内には林芙美子文学碑、世界最大のふくの銅像、亀山砲台跡など多くの見どころがあります。






■⑧詩碑「夏越まつり」

金子みすゞが創作した「夏越まつり」、「雨の五穀祭」「鶴」「噴水の亀」などは亀山八幡宮を詠ったものだといわれています。平成15年12月に亀山八幡宮敬神婦人会により「夏越まつり」の詩碑が設置されました。
 

詩碑「夏越まつり」

ぽつかりと
ふうせん、
瓦斯の灯が映るよ。
影燈籠の
人どほり、
氷屋の聲が泌みるよ。
しらじらと
天の川、
夏越祭の夜更けよ。
辻を曲れば
ふうせん、
星ぞらに暗いよ。


■⑨三好写真館跡

金子みすゞは、亡くなる前日の1930年3月9日、亀山八幡宮参道そばの、この場所にあった三好写真館で、最後の写真を撮りました。亀山八幡宮大鳥居のそばにあります。

詩碑「鶴」

お宮の池の
丹頂の鶴よ。
おまへが見れば、
世界ぢゆうのものは、
何もかも、網の目が
ついてゐよう。
あんなに晴れたお空にも、
ちひさな私のお顔にも。
お宮の池の
丹頂の鶴が、
網のなかで靜かに
羽をうつときに。
一山むかうを
お汽車が行つた。


■⑩唐戸市場前(詩の小径の終着点)

金子みすゞ詩の小径の終着点です。唐戸市場前にあります。

金子みすゞの詩には優しさが溢れており、詩の小径を歩いて金子みすゞの良さを改めて知らされました。父は生前、みすゞが生まれた長門市仙崎にも行ったことがあるようです。今度私も長門市仙崎を歩いてみようかな

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詩碑「私と小鳥とすずと」

私が両手をひろげても、
お空はちつとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすつても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。


■聖フランシスコ・ザビエル下関上陸の地

唐戸市場前にあります。西鹿鳴越道(ザビエルの道)を歩いてから、ザビエルゆかりの地に反応するようになりましたw

【聖フランシスコ・ザビエル下関上陸の地】日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが、下関に上陸したことを記念して建てられたモニュメント。サビエルの故郷であるスペインのザビエル城の石も添えられています。


■引接寺

龍の彫刻はわかりづらい場所にあるので、行かれる方は注意されてください。

【引接寺】1560年創建の浄土宗の古刹。1895年、日清講和会議が下関で開かれた際、李鴻章ら清国の全権一行の宿泊場所にあてられた由緒ある寺院です。市指定文化財の三門には、左甚五郎作といわれる龍の彫刻がにあります。



■藤原義江記念館(館内撮影不可)

【藤原義江記念館】海峡を望む小高い丘に建つこの洋館は、かつて英国領事館の公邸や貿易商社の宿舎として使用されていました。現在は古川薫氏の直木賞受賞作「漂泊者のアリア」でも紹介された下関出身の世界的オペラ歌手・藤原義江の記念館となっています。建物は国の登録有形文化財。


■李鴻章道

かなり狭い道でした。李鴻章になりきって、春帆楼に向かいます。

【李鴻章道】日清戦争終結のための講和会議のとき、清国全権大使「李鴻章」が危難を避ける為、宿舎(引接寺)と会場(春帆楼)の往復にこの道を使用したことから、「李鴻章道」と呼ばれるようになった。




春帆楼

日清講和条約が締結された会場であり、「フグ食用禁止令」を伊藤博文が解禁した「ふぐ料理」の公許第1号店でもあります。




▲伊藤博史・陸奥宗光像


▲日清講和記念館

春帆楼と同じ敷地内にあります。館内には日清講和条約を締結した時の会場の様子が再現されていました。

【日清講和記念館】1895年、日清戦争の講和会議が下関の「春帆楼」で開かれ、清国の李鴻章と日本の伊藤博文の間で日清講和条約が締結されました。その会議で使用された調度品や貴重な資料などを展示しています。




日清講和記念館を見学した後は、JR九州ウォーキングのコースに復帰するためカモンワーフに向かいました。

    

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