若松ウォーク~火野葦平の足跡を辿る~ 若松あじさい祭り編
前回(若松ウォーク~火野葦平の足跡を辿る~ 若松バンド編)の続き
今回は若松あじさい祭りが開催される高塔山周辺のウォーキングの様子を報告したいと思います。
コース外の場所は■赤字で記しておきます。
■若松あじさい祭り
当日は若松区内の至る場所で若松あじさい祭りのイベントが開催されており、今回のウォーキングでは高塔山山頂付近のイベント会場に向かいます。
▲佐藤公園 [地図]
ここは「石炭の神様」といわれた佐藤慶太郎氏が1934年に自邸の土地建物を旧若松市に寄付して出来た公園です。
色とりどりの紫陽花が咲いていてとても綺麗でした。
公園内では熱いお茶による接待を受けました。
●佐藤慶太郎翁銅像 [地図]
【佐藤慶太郎】北九州若松の石炭商佐藤慶太郎は、「富んだまま死ぬのは、人間の恥じである。」というカーネギーの言葉を信条とし、1921年に美術館建設費百万円(現在の約33億円相当)を東京府に寄付し、1926年に上野公園に東京府美術館が建設されました。2009年に佐藤慶太郎翁銅像が建てられています。
▲~県木の森
交通規制により、一般車両の通行はなく無料シャトルバスの通行しかなかったので歩きやすかったです。
私の嫌いな階段道ですが、紫陽花を見ながら登っていると苦にはなりませんでした。
もう少しでメイン会場の芝生広場に着きますが、いつものごとく寄り道をします。
▲県木の森 [地図]
日本全国の県木がある森。福岡県はツツジ、東京都はイチョウ、北海道はエゾマツで、各都道府県の木が日本列島を形取ったそれぞれの場所に植えられています。
▲音楽堂 [地図]
私が立ち寄った時は、鉢植えあじさいコンクールの表彰式が行われていました。
▲あじさい広場 [地図]
高塔山の中でもここが一番の紫陽花の見所だと思います。ウォーキングのコース外ということもあり人が少なくゆっくりと紫陽花を観賞できました。
▲あじさいの小径 [地図]
右手の土手には紫陽花がたくさん植えられています。木陰になっていて涼しかったです^^
▲芝生広場 [地図]
食べ物や紫陽花の苗の販売などの出店がたくさんあり、大勢の人で賑わってました。
芝生広場付近の紫陽花は空梅雨のせいなのか干からびてしまった元気のない紫陽花が多かったです。
▲河童封じ地蔵尊 [地図]
【河童封じ地蔵尊】背中に大きな釘を打たれた坐り地蔵には、修多羅村の河童の話が伝えられています。馬を川に引きずり込もうとした河童が失敗し、庄屋に捕まりました。庄屋は地蔵の背中に大きな舟釘を打ち込み、釘がある間は河童にいたずらしないように誓わせたという話です。作家火野葦平は、この話をもとに「伝説」という小編を書き、後に「石と釘」と改題されています。
背中には本当に釘が刺さっていました。
▲高塔山展望台 [地図]
展望台1階では食べ物の露店がたくさん並んでおり、来場者の方々がビール片手にワイワイと盛り上がっていました。
展望台からの眺望です。この日はガスがかかっていて、遠くの風景ははっきりと見えませんでした…ORZ
▲火野葦平文学碑 [地図]
【火野葦平文学碑】昭和35年8月に建立されました。谷口吉郎氏の設計です。碑には、「泥によごれし背嚢にさす一輪の菊の香や」の碑文が刻まれ、裏面には故人の文学の友、劉寒吉の追悼文が刻まれています。葦平碑前祭が、1月24日の命日の前の日曜日にここで行われます。
▲万葉植物園 [地図]
【万葉植物園】若松市は、高塔山公園整備の一環として昭和31年、この地に万葉の歌にちなんだ若木50数種を集めて、万葉植物園を開設しました。現在は、67種の植物が植えられています。
■高野山東南院 [地図]
火野葦平の著書「海抜四百尺」(火野葦平選集第3巻)の中で高野山東南院が描かれています。
■~金比羅神社
このあたりの風景が、学生の頃に一人旅をした広島の尾道に似ているなと思いました。尾道の坂道はもっと狭かったですけどね
■金比羅神社 [地図]
火野葦平の著書「花と龍」第一部で金比羅神社が描かれています。
■~福岡藩修多羅米蔵跡
この階段は上りだと本当に大変そうですね。下りで助かりました^^
■福岡藩修多羅米蔵跡 [地図]
【福岡藩修多羅米蔵跡】1717年、福岡藩は、遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡の年貢米の集積地を芦屋から若松に移しました。その米蔵がこの場所に建っていました。
■河伯洞(邸内撮影可) [地図]
【河伯洞】河童の棲家といった意味で、作家火野葦平の住居でした。葦平の出征中に、父金五郎が兵隊三部作の印税で建てたと伝えられています。昭和35年1月24日、葦平は河伯洞の書斎で自ら命を絶ちました。1997年年北九州市の文化財に指定されます。
邸内では多くの資料が展示されており、火野葦平さんの三男御夫妻により親切丁寧に案内してもらえます。
2階の書斎です。昭和35年1月24日、火野葦平はこの書斎で自殺をしています。
庭には河童とカエルの石像があり、出征した兵隊がカエル(帰る)という縁担ぎがあったと言われています。
■安養寺 [地図]
【安養寺】高塔山城主 大庭隠岐守の菩提寺で火野葦平の眠る玉井家のお墓もここにあります。境内には三禁の句を刻んだ碑や五平太ばやしを叩く河童の像などもあります。
▲三禁の碑
【三禁の碑】碑には「言葉さかんなればわざはひ多く 眼鋭くして盲目に似たり 敏き耳豈聾者に及ばんや 不如不語不見不聞」と刻まれています。また不語、不聞、不見をあらわす河童の絵も描かれています。
▲五平太ばやしを叩く河童の像
▲玉井家の墓
【玉井家の墓】火野葦平の父玉井金五郎が1927年に建立したもので、当時早稲田大学の学生であった長男の葦平の名も刻まれています。
■JR若松駅(ゴール地点) [地図]
13時50分頃、JR若松駅に到着。電車に乗って帰路に就きました。
距離的には物足りなかったのですが、紫陽花も堪能でき、火野葦平という作家にも興味がわいたので大変有意義なウォーキングでした。近いうちに火野葦平の作品を読んでみたいと思います。
■今後の予定
今回でJR九州ウォーキング春~初夏編が終わってしまいましたが、秋編が始まる9月まで自主トレを頑張りたいと思います。冬のオフシーズンにやっていた「勝手にウォーキング大会」はもちろんですが、「青春18切符」を使った遠方でのウォーキングや今は内緒ですがもうひとつ面白い企画のウォーキングを計画しております。
また10月に開催される第15回 行橋~別府100キロウォークに参加し完歩するために長距離のウォーキングもやっていこうと思います。
お疲れ様でした。初夏編終了し、予想どおり気が抜けた生活送っています…(T_T)
今年の高塔山はすごく綺麗でした。9キロは私も物足りないので、高塔山か付近の公園の散策もコースに入れてくれたらいいのになぁ…と思いつつ自力散策し満喫しましたよ(笑)