若松ウォーク~火野葦平の足跡を辿る~ 若松バンド編
2013年6月16日(日)は、JR若松駅で開催されたJR九州ウォーキングに参加してきました。この日は3月から始まったJR九州ウォーキング春~初夏編の最終日になります。
コース外の場所は■赤字で記しておきます。
JR九州ウォーキング
若松駅:高塔山あじさい鑑賞と歴史・文化・自然の若松散策
(コース距離:約9km)
コース詳細
当日マップ
■JR若松駅(スタート地点) [地図]
9時40分頃到着。JR折尾駅で筑豊本線に乗り換え、ウォーキング参加者でぎゅうぎゅう詰めのワンマン電車に乗ってやって来ました^^;
■火野葦平資料館(若松市民会館) [地図]
火野葦平資料館は若松駅目の前の若松市民会館内に常設されています。今回のウォーキングでは作家火野葦平の足跡を辿るというテーマもあるようです。
【火野葦平資料館】葦平の資料は膨大であり旧居だけでは収まらず若松駅前の市民会館の一部を開放して数千点のもの資料を展示しています。昭和60年7月1日開館。
館内は2点の写真を除き撮影OKでした。原稿、書簡、日記、従軍手帳など遺品が多数展示されています。
【火野葦平】福岡県遠賀郡若松町(現北九州市若松区)に生まれました。早くから文学を志し、一時は家業を継いだものの、昭和13年、日中戦争出征中に「糞尿譚」が第6回芥川賞を受賞。その後、「花と龍」など旺盛な作家活動を展開し、国民的ベストセラー作家となりました。昭和35年1月24日河伯洞2階の書斎で自ら命を絶ち、享年53歳でした。故郷と河童を愛した男として、広く人々に知られています。
昭和35年、自ら命を絶った河伯洞書斎が復元されていました。
■洞海湾
火野葦平資料館を後にし、次の目的地に向かっていると目の前に若戸大橋が見えてきました。
写真では分かりづらいですが、洞海湾を挟んだ向い側には先週戸畑ウォークで訪問したニッスイ戸畑ビル [地図] が見えます。
■弁財天上陸場 [地図]
大正期の港湾拡張計画に基づいて造られた荷揚場を平成8年に一部補修して復元したものです。大正10年に作られた常夜灯も左右2基復元されています。
■旧ごんぞう小屋 [地図]
【旧ごんぞう小屋】若松では石炭荷役をする港湾労働者を「ごんぞう」と呼んでいました。「旧ごんぞう小屋」は、かつて当地にあった彼らの詰め所を模して、北九州における産業の近代化を底辺で支えた人々の足跡を、後世に語り継ぐため整備された休憩所です。
小屋内では当時の荷揚げ場の風景写真なども展示されています。
■厳島神社 [地図]
【厳島神社】1685年、洞海湾の守護神に宗像郡玄海村に鎮座する市杵島姫命の分霊を祀ったのが起源とされ、交通の神として漁師や船乗り達の参詣で賑わっていました。
■石炭会館 [地図]
戸畑ウォークの際、ニッスイ戸畑ビル [地図] を見て門司港付近だけでなく戸畑にもレトロな建物があるんだなあと思ったのですが、洞海湾を挟んだ若松にもレトロな建物はたくさんありました。
【石炭会館】石炭積み出し港若松の歴史を象徴する木造二階建ての建物で、明治38年に建設されました。外装はモルタル塗りで、様式建築の規範に従って、左右対称の造りとなっており、一対の円柱がこの効果を高めています。
■旧古河鉱業若松ビル [地図]
【旧古河鉱業若松ビル】筑豊地方における石炭産業を展開するため、古河鉱業株式会社が若松支店の事務所として大正8年に建設した煉瓦造二階建の建物です。石炭積出港として賑わった若松の歴史を物語るシンボル的な建物で、正面側コーナーには三階部分まで円形の塔が配置されて堂々とした風格が感じられます。また、玄関の庇部、塔屋の入口上部に大正建築の意匠の特質がよく現れています。
1階のホールでは手作り雑貨の販売が行われていました。
階段付近です。なんかオシャレですね
2階では展示会が行われていました。
■上野ビル(旧三菱合資若松支店ビル) [地図]
【上野ビル】三菱合資若松支店として大正2年に建設されました。現在は玄関部の増築と最上階部の改造が行われ左右同じ形をしていますが、当時は兜型の庇のついた玄関で、正面右側の塔屋がアクセントを付けていました。また、材料はドイツから輸入された煉瓦を使用したといわれています。
■若戸渡船 若松渡場 [地図]
【若戸渡船】洞海湾の戸畑渡場と若松渡場の約400mを往来する渡船。古くは江戸時代の伝馬船が始まりで、橋が架けられた今も通勤や通学、買い物など庶民の足として活躍している。乗船片道大人100円・小児50円。
■洲口番所跡 [地図]
【洲口番所】船着番所とか船改番所ともいい、洞海湾に出入りする船や、人物を監視する目的で正徳年間に、設置されました。その後、寛延4年に若松代官が廃止されてから、黒崎代官の管轄となり、明治4年に廃止されました。
■杤木ビル [地図]
【杤木ビル】幅より高さが高い建物で大正9年、造船と船舶代理業を行う杤木商事の本社として建設されました。当時としては画期的な鉄筋コンクリートの地上3階、地下1階のビルです。火野葦平原作の「糞尿譚」の映画や渥美清主演の「でっかいでっかい野郎」のロケに使われています。
■わかちく史料館(館内撮影不可) [地図]
民間の博物館ですが、洞海湾の歴史を豊富な資料や写真・映像・模型などで詳しく紹介しています。
【わかちく史料館】明治23年若松で生まれた若築建設株式会社が、若松の歴史を後世に伝えたいという願いを込めて平成9年3月21日開館しました。
■若松惠比須神社 [地図]
【若松惠比須神社】仲哀天皇が、神功皇后とこの地に入った時、武内宿禰が洞海の海底を漁師に調べさせたところ、光輝く石を抱いて上がってきたので、天皇はその霊石を手にとって「これは海の神がこの度の筑紫への船旅をつつがなく守ってくださるという御心のしるしであろう。」と喜んだので、武内宿禰が近くの浜辺に祠を建てて祀ったのが鎮座の由来となっています。
▲方位石
若松惠比須神社の拝殿横にありました。
【方位石】北九州市有形民俗文化財。三段の台座の上に、東西南北と十二支を刻んだ方位石で、文久9年7月24日、若松及び芦屋地区の沿岸を実測するにあたり、伊能忠敬が測量事業の成功を祈願して奉納したともいわれている。
■若松区役所 [地図]
若松区役所の駐車場は土・日・祝日の午前9時~午後9時まで無料開放されているので、若松に遊びに来るときは利用したらいいと思います。
■明治町銀天街 [地図]
料亭「金鍋」に行くためアーケードの商店街を通りましたが、多くのお店のシャッターが閉まっていて寂しい感じでした。
■料亭 金鍋 [地図]
火野葦平も食べたという牛鍋は食べてみたいです( ̄¬ ̄*)じゅる
【料亭 金鍋】国登録有形文化財。1895年に創業の老舗料亭で、一旦は焼失したが現在の建物は大正の初めに再建されたものです。本館は木造瓦葺3階建ての近代数奇屋風の意匠が特徴。表門は間口1.8mでガラス欄間をはめ込んでいます。大正時代には多くの著名人が訪れにぎわっていました。火野葦平も作品の執筆ためにここの2階の客間を利用していて今では「葦平の間」と呼ばれています。
■白山神社 [地図]
「若松あじさいまつり」が開催される高塔山の登山口付近にあったのでちょっと立ち寄ってみることにしました。
境内までは200段ほどの階段が続きます(´Д`A;)
この神社には「色絵武者図磁器絵馬」という市指定有形民俗文化財の絵馬が奉納されているそうです。拝殿では無事高塔山の山頂まで登れるようにとお願いしました^^
若松あじさい祭り編に続く
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