勝手にウォーキング大会in柳川

前回(西鉄電車レールあんどハイク 緑がけむる柳川編)の続き

西鉄電車レールあんどハイク「2013 国の寿 酒蔵まつり 柳川・目野酒造散策コース」終了後、「勝手にウォーキング大会in柳川」を開催してきました。

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■勝手にウォーキング大会in柳川

以下の資料を参考に次のようなコースを歩いてきました。

▲動くルート図

勝手にウォーキング大会in柳川(ルートラボ)

※ルートの閲覧には、Microsoft Silverlight 3.0以上が必要となります。最新のMicrosoft Silverlightをダウンロード(無料)するには、こちらから

▲参考資料

福岡歴史探訪ウォーキング [楽天] 113ページの地図


福岡散歩マップ [楽天] 120・121ページの地図


■西鉄柳川駅

13時30分頃出発。


■柳川古文書館(館内撮影不可)

館内には雛人形やさげもんが展示してありました。

【柳川古文書館】国指定重要文化財の「五条家古文書」など筑後地方の貴重な古文書を収集、保存している古文書館。一部の資料は閲覧でき、古文書をわかりやすく解説する常設展示を行っている。入館料無料。


■柳川城堀水門

【柳川城堀水門】城の防御用に築造されたもので、城内に入る唯一の水門です。万一の場合にはこの水門を閉め、上流の堤防を切り崩して水を流すと、柳川城周辺を残して周囲は水浸しになる壮大な仕掛けの水門です。



■真勝寺(田中吉政の墓所)

【真勝寺】関ヶ原の戦い後に筑後初代国主となり、堀割などの土木事業に尽力し、近世柳川の基礎を築いた田中吉政の墓所。亡骸を葬られた墓石の上に本堂を建立し、本堂全体が吉政公の墓であると伝わる。


■福厳寺

【福厳寺】天正15年(1587)、柳河藩主・立花宗茂が建立。一度取り壊されたが、三代藩主・立花鑑虎が立花家の菩提寺として再建した。本堂背後には歴代藩主の墓所がある。




■からたち文人の足湯

ちょうど歩き疲れていたので利用させていただきました。ぬるめのお湯にしばらく足をつけていると疲れがとれました^^

【からたち文人の足湯】約70人が一度に利用できるという足湯は、ナトリウム炭酸水素塩・塩化物泉で、地元でも評判の良質の温泉。柳川ゆかりの文人のエピソードが紹介されたパネルも展示されています。



■御花・松濤園

入園料を惜しんで松濤園や本館などの見学をしませんでした。今考えると見学しとけばよかったです。今度柳川に来た時はぜひ見学したいと思います。

御花施設案内(360°パノラマ)

【御花・松濤園】柳川藩三代目立花鑑虎が築いた遊息を目的とした屋敷・庭園です。花畠という地名の場所に建てられたところから、柳川の人々に「御花」と親しまれていました。御花は水郷柳川のシンボルであるとともに、立花家の栄光と歴史を物語る史跡と言えます。正門から見える西洋館は明治43年に立花家の迎賓館として建築。ランプシェイドなど当時の調度が残り、明治の華やかさを伝えています。本館の前に広がるのは庭園「松濤園」。宮城県松島の景を模した設計で、庭内にある松約280本はほとんどが樹齢2、300年の古木です。



■旧戸島家住宅

入館料100円を払います。こちらでもひな壇やさげもんが展示してありました。

【旧戸島家住宅】柳川藩中家老の吉田兼儔が隠居所として建てた茅葺き2階建ての邸宅。いったん立花家へ献上され明治維新後戸島家へと譲られました。家屋は築200年ともいわれ、福岡県指定の文化財です。また庭園は国の名勝に指定されています。






■二宮神社

【二宮神社】戦国時代、柳川は筑後の旗頭蒲池氏の本拠地でした。豊後の大友氏、肥前の龍造寺氏と争いながらも一歩も引かなかったといいます。ある日、蒲池鎮並は龍造寺隆信と和睦しましたが、騙し討ちされ憤死。その霊を祀ったのが二宮神社と伝えられています。現在は稲荷町の漁師の信仰が篤く、参道には浦島太郎や鶴の像が置かれています。




■沖端漁港

映画のロケなどでもよく登場するスポットで、「男はつらいよ 寅次郎紙風船」や竹中直人監督主演の「東京日和」などのロケ地でした。


■北原白秋生家・記念館

【北原白秋生家・記念館】北原白秋は「油屋」「古問屋」の屋号で九州一円に知られた造り酒屋の跡取りとして明治18年に生まれました。裕福な家庭でのびのびと育ち、文学の素養を高めます。しかしそんな生家も、明治34年の沖端大火災で大半を焼失し、その8年後に北原家は倒産し一家をあげて出郷することになります。故郷を喪失した悲しみをもとに詩集「思い出」を敢行し、詩人としての名声を手に入れることになります。生家はその後人手に渡り、缶詰工場となりましたが、昭和43年に工場が売却され、昭和44年に県文化財史跡の指定を受け残った母屋を復元。現在では、白秋の遺品や原稿などを展示し、一般に公開されています。


■白秋詩碑苑

【白秋詩碑苑】有名な「帰去来」の詩碑が白秋の童謡「からたちの花」にちなんだからたちの生垣に囲まれて立つ。文学碑前の広場では、毎年1月25日に白秋生誕祭、毎年11月2日に白秋祭式典が開催されている。


■矢留大神宮

【矢留大神宮】壇ノ浦の合戦で敗れた平家の武将六騎はこの地へ逃れ、有明海で漁業を営むようになった。そんな平家落人伝説が残っています。現在も沖端地区の漁業者は六騎と呼ばれています。六騎の中で、伊勢神宮から御神鏡を授かる霊夢を見た者があり、伊勢へ出向くと半円の鏡を授かりました。その後、ある地点の地面が光輝きだし、掘ってみるとぴったり合う鏡を発見。天照大神を奉祀したのが神社の始まりとされています。矢留とは戦の中止を意味し、平和を祈る六騎の思いが込められているようです。半鏡が発見された「鏡が池」が境内に残っています。手を清めるために手水鉢ではなく、堀へ降りる階段が作られているのが水郷らしいところです。




■沖端水天宮

【沖端水天宮】沖端西ノ切に鎮座する沖端水天宮は明治二年に久留米の水天宮から勧請され、同地区内の稲荷神社、祇園社の三社を合祀して誕生。社殿はお堀が急激にカーブを描く地点にあり、町並みをぐるりと見渡せます。5月3~5日には、水難事故防止を祈願する「水天宮祭」が催され、堀に川舟6艘をつないだ舟舞台「三神丸」が作られ、オランダ囃子という独特の音色が響きます。



■柳川城跡

【柳川城跡】筑後の名族・蒲地鑑盛によって築かれ、周囲に水路を張り巡らせた堅城として300余年続いた。しかし、明治5年に原因不明の出火で焼失し、現在では城堀の四隅に建てられた標石と石垣が「柳川城址」として残された。柳城中学校校庭の小高い丘の上にあり、天守閣の石垣は別名へそくり山と呼ばれ、地元の人に親しまれている。


■西鉄柳川駅

17時20分頃到着。電車に乗って帰路につく。


■感想

柳川の街を歩き回って、水郷柳川の風情を十分堪能することができました。ちょうど柳川ではさげもんめぐりが開催されており、いたるところで雛飾りやさげもんが展示されてました。4月3日まで開催されているので興味がある方は是非見に行って下さい。とても綺麗でしたよ

今回はウォーキング目的で柳川に来たので仕方がないのですが、次回柳川に来た時はぜひどんこ舟に乗って川下りを体験したいと思います。さらに欲を言えば、ダイエットを忘れてうなぎのせいろ蒸しをたらふく食べたいですw

    

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