勝手にウォーキング大会in太宰府
前回(西鉄電車ウォーキング「レールあんどハイク」に初参加)の続き
レールあんどハイクは無事終了したのですが、距離的にちょっと物足りなかったのとせっかく太宰府まで来たのでもっといろんな所へ行って見たかったのでゴール受付後「勝手にウォーキング大会in太宰府」を開催してきました。
■勝手にウォーキング大会in太宰府
以下の資料を参考に次のようなコースを歩いてきました。
▲動くルート図
⇒勝手にウォーキング大会in太宰府(ルートラボ)
※ルートの閲覧には、Microsoft Silverlight 3.0以上が必要となります。最新のMicrosoft Silverlightをダウンロード(無料)するには、こちらから
▲参考資料
●福岡歴史探訪ウォーキング [楽天] 91ページの地図

■九州国立博物館
【九州国立博物館】「九州にも国立博物館が必要だ」とする岡倉天心の主張から足掛け100年もの歳月を経て、平成17年に誕生しました。国立博物館としては唯一、アジア文化との接点である九州の地理的背景をもとに、大陸や西洋との交流の歴史という展示テーマを持ちます。そのため常設展示は「文化交流展示室」と呼ばれ、基本展示室に11の関連展示室を設けて、物語を読み解くようにアジアの中の日本史を体験できます。玄界灘の青を表し、丸みを帯びたユニークな建物で周囲の山を映す外壁や九州産の木材をふんだんに使用したエントランスなど環境にも配慮。国立博物館としては日本最大級です。






■光明禅寺
拝観料200円を払い、庭を鑑賞。とても落ち着いた風情の庭でした。秋頃、紅葉を見にまた来たいと思いました。
【光明禅寺】禅僧・鉄牛円心により1287年に開山した光明禅寺は、一般的には苔寺の名で親しまれ、清らかな庭園は太宰府でも随一の風情を味わえます。前庭は石を7・5・3の15石で「光」字に配置した九州唯一の仏光石庭です。苔で陸を、白石で海を表した後庭は、長汀曲浦の画線で描いた「一滴海の庭」と呼ばれています。江戸時代には、太宰府天満宮に仕える人々とその家庭の菩提を弔っていました。






■伝衣塔
【伝衣塔】渡宋天神伝説にまつわる塔。菅神は、博多の承天寺の鉄牛和尚の枕元に、禅師から賜った僧袈裟を持って現われ、これを一所に収めてほしいと頼まれた。その告の通り太宰府の岩崎の場所に収めて伝衣塔を立て、鉄牛和尚は横に「神護山光明寺」を開山。

■太宰府天満宮
外国の観光客もたくさんいて、大変賑わっていました。まだ、満開ではありませんでしたが梅の花も咲いていて綺麗でした。少し小腹が空いたので梅ケ枝餅(105円)を購入。焼きたては大変美味しかったです^^
【太宰府天満宮】祭神の菅原道真公は、遣唐使廃止を断行した平安時代中期の学者・政治家です。政敵の讒言により都から太宰府へと左遷され、無実を訴えながら悲嘆のうちに亡くなります。道真公の魂を鎮めるため905年に造営された祠廟が、現在の太宰府天満宮に発展しました。5歳で和歌を詠んだという秀才ぶりが学問の神様と尊ばれ、現在も受験生などに篤く信仰されています。主人を慕って、都から飛んで来たとされる御神木の「飛梅」をはじめ、早春には約6000本の梅が咲き誇ります。





■観世音寺
【観世音寺】天平18年、天智天皇が母の斉明天皇の冥福を祈り、80年の歳月をかけて建立した勅願寺。境内にある梵鐘は、681年に鋳造された日本最古の梵鐘で国宝になっている。京都妙心寺の梵鐘と兄弟鐘で、あの菅原道真も音色を聴いたという。環境庁による「音風景100選」に選ばれている。



■戒壇院
【戒壇院】観世音寺境内に天平宝字5年に建てられた。日本三戒壇のひとつ。戒壇院は正式な僧侶や尼になるための戒律を出家者に授けるために設けたもので、太宰府の戒壇院では、鑑真が最初に授戒を行ったと伝えられる。


■僧正玄昉の墓
【僧正玄昉の墓】玄昉は奈良時代の僧、阿倍仲麻呂、吉備真備らと共に遣唐船で中国に渡り、在唐18年、玄宗皇帝によって三品に准せられ、紫袈裟を許された。帰国後、奈良の宮廷で権力を振るったが、745年造観世音寺別当に左遷され、翌年、観世音寺造立供養の日に死去。政敵藤原広嗣の霊に殺されたと伝えられている。

■武藤資頼・資能の墓
【武藤資頼・資能の墓】五輪塔が武藤資頼の墓。宝篋印塔がその子資能の墓と伝えられる。武藤氏は鎌倉時代の武将で、大宰少弐を世襲したことから少弐氏を名乗る。五輪塔(県指定文化財)は、地・水・火の下の三輪しか残っていないが、四面には円相の中に仏像が浮き彫りにされている。また球の形であるべき水輪は、四角石の角を落としただけで球形を表すなど、大変珍しいものである。

■太宰府学校院跡
【太宰府学校院跡】8世紀初め、政治体制が整うにつれ官吏の養成が急務となり、地方に国学が置かれた。太宰府学校院は西国の役人を養成する機関で、今は水田となり石碑が残るのみだが、当時は数百人もの学生が、一流の教授に厳しく鍛え上げられていた。


■月山東地区官衙跡
官衙とは当時の役所のこと。大宰府の周辺にあった役所のうちの一つだそうです

■大宰府展示館
館内撮影不可。入館料無料。太宰府の歴史を紹介する資料を展示してました。

■大宰府政庁跡
犬の散歩をされてる方や家族連れなどで賑わっていました。
【太宰府政庁跡】別名都府楼跡とも呼ばれています。西海道と外交を司る役所で、遠の朝廷と呼ばれるほどの権威がありました。白村江の戦いに敗れ、沿岸部にあった役所をより安全な水城の背後に移動させたことで、西都大宰府が誕生しました。





■坂本八幡宮
【坂本八幡宮】坂本地区の土地神・産土神として崇拝されている八幡宮で、祭神は応神天皇一座。

■御笠団印出土地
【御笠団印出土地】太宰府市坂本3丁目に広がる遺跡。発掘調査によって、7世紀の竪穴住居・建物、奈良~平安時代の木棺墓・溝・井戸などが確認されている。

■太宰府市文化ふれあい館

■国分瓦窯跡
【国分瓦窯跡】政庁は8世紀はじめ頃に瓦屋根に建て替えられ、ここにいくつもの瓦窯が作られました。

■筑前国分寺跡
【筑前国分寺跡】天平13年聖武天皇は、日本の国土に毘廬遮那仏の浄土を現出し、平和で豊かな国家を建設しようという願いから、奈良には東大寺、諸国には国分寺・国分尼寺を建設した。筑前国分寺は九州各国の国分寺の中心であった。現在は、見事な礎石が残る塔跡と講堂跡、そして金堂跡に建てられたお堂の中にある平安時代後期の伝薬師如来等から昔をしのぶことが出来る。



■国分尼寺跡
【国分尼寺跡】天平13年、聖武天皇の命により鎮護国家・五穀豊穣を祈るために全国に建立された寺の1つ。正式名称は法華滅罪之寺といい、10人の尼僧が置かれた。国分尼寺は、8世紀後半に造られ100年ほどしか存続しなかったと推定され、跡地は現在田圃になっている。

■姿見井
【姿見井】901年、菅原道真が大宰府へ西下した際、身支度を整えるため自らの姿を池に映したと言われている。

■水城跡
ほかにも足を運んでみたい場所があったのですが、携帯電話の電池がなくなり写真を撮ることができなくなったため史跡巡りはここで終了です。
【水城跡】664年、唐と新羅の攻撃に備えて築かれた大宰府の防衛施設「水城」である。その規模は全長1.2kmにわたり、基底部で幅80m、高さ13mを越える人工の堤防を築き、その博多湾側に幅60m、深さ4mの堀をつくり、水を貯えたという。




■JR水城駅
16時40分頃到着。電車に乗り、帰路につく。
■感想
さすが歴史と文化のまち太宰府だけあっていろいろな名所・史跡を見て回ることができ、とても充実したウォーキングができました。太宰府市内各所には観光案内板や道標などが多く設置されており、道に迷うことはありませんでした。今度は紅葉の季節にまたウォーキングをしたいと思います。


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